2009年11月08日

さよなら。いつかわかること

さよならいつかわかること.jpg

原題: Grace Is Gone
2007年 アメリカ
監督・脚本 : ジェームズ・C・ストラウス
音楽 : クリント・イーストウッド
出演 : ジョン・キューザック/シェラン・オキーフ/グレイシー・ベドナルジク/アレッサンドロ・ニヴォラ

<STORY>********************************************************************************************************
ホームセンターで働くスタンレーは、二人の女の子の父親。
母親は陸軍軍曹として、イラクに赴任中だった。
長女のハイディは、父親のいない時に、こっそり戦争のニュースを見ていた。
スタンレーは、母親を恋しがる娘たちとうまく接することが出来ず、いつもぎこちなく食卓を囲んでいた。
ある日、妻が亡くなったという報せが届く。
突然の妻の死を伝えることが出来ないスタンレーは、娘たちと小旅行に出かけることを思いつく…。
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男女平等のアメリカらしい映画である。
ともに軍人同士であったスタンレーとグレース夫妻。
ところがスタンレーは近視が理由で除隊となる。
軍に残った妻は、イラクへと赴任する。
そして帰らぬ人となる。
残された父と二人の娘の数日間の物語である。

女性も兵士として戦地へ赴いているアメリカ。
女性兵士が最前線で戦うということはないのだろうが、それでも戦死するケースというのも当然ありうるわけである。
ましてやイラクでは最前線というものがあるわけではない。
そんなアメリカならではの映画である。

軍関係者が戦死の知らせを伝えにくるシーン。
ドアを明けたところに軍服姿の二人が立っているのを見て、スタンレーは何があったかを悟る。
子供にその事実を言い出せず、思い立って旅行に出かける。
母親だったら泣き崩れるのであろう。
父親ゆえにそれができない。

かねてから行きたいと思っていた遊園地に突然行く事になり、無邪気に喜ぶ次女。
父親に隠れてイラクのニュースをみる長女は、しっかりしているとはいえまだ子供だ。
そんな二人に事実を告げられないスタンレーと3人の旅が静かに続く。

なんとなく弱々しいジョン・キューザックが父親として登場。
これはこれでハマっている気がする。
そしてクリント・イーストウッドが音楽を担当と珍しい。
短いが、淡々として盛り上がりにかけるきらいもなくはない。
テーマとしては面白いといえる映画だろう・・・


評価:★★☆☆☆



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posted by Master Hiro at 00:22 | 東京 曇り | Comment(0) | TrackBack(0) | (さ)行の映画

2009年11月03日

光州5・18

光州5・18.jpg

原題:  (華麗なる休暇)
2007年 韓国
監督: キム・ジフン
出演:  キム・サンギョン/イ・ヨウォン/イ・ジュンギ/アン・ソンギ/ソン・ジェホ/ナ・ムニ/パク・チョルミン/パク・ウォンサン/ソン・ビョンホ/チョン・インギ

<STORY>********************************************************************************************************
1980年5月18日、韓国・光州市。
この町で25000余名の戒厳軍が民主化を要求する学生、市民らと衝突した“光州事件”…タクシー運転手の青年ミヌは早くに両親を失い、たった一人の弟ジヌと暮らしていた。
父親代わりでもあるミヌは、弟に格別の愛情を寄せていた。
そして、ミヌが想いを寄せる看護師のシネ。
彼女は母親を亡くし、父親フンスとの二人暮らしだった。
彼らの平和な日常は、その日を境に突如として襲った嵐のような戦禍にまみえていく。
ミヌは、ただその現実が夢であることを願った。軍の銃弾に倒れた弟のジヌ。
かけがえのない愛と命が次々と犠牲になっていく。
ミヌは、ただ愛するものを守りたい一心で戦いを挑んでいくのだが…。
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お隣韓国の歴史というと現代史でさえよくわかっていない。
せいぜいが朝鮮戦争くらいである。
これは1980年におきた民主化を求める学生や市民が韓国軍と衝突し、多数の死傷者が出た事件の映画化である。
事件そのものは実話であるが、中のストーリーはフィクションのようである。

歴史上の事件にフィクションのストーリーを絡ませるという手法は、「ベルサイユのばら」や「タイタニック」でお馴染みである。
実際の事件・事故というものを際立たせたい時に、ドラマチックなフィクションを展開させるというのは、なかなか有効だと思われる。

主人公は両親を亡くした兄弟ミヌとジヌ。
ミヌはタクシーの運転手をしながら弟ジヌがソウル大学へ入学することを期待している。
そして自らは密かにシネに思いを寄せる。
前半はそんなミヌがなんとかシネに思いを伝えようと悪戦苦闘する様子がユーモラスに描かれる。
こうした平和な様子が後半と対比される。

後半は戒厳令の敷かれる中、全斗煥退陣を求める学生・市民のデモに対する軍の鎮圧が始まる。
ここらあたりは前後関係が簡単な解説しかなくわかりにくい。
しかし武器を持たない市民に対して一方的に軍が発砲するのは許される道理ではない。
一方の市民側も武器庫を襲撃して武器を奪う。
こうなると対決はエスカレートするのみである。
そして一方が軍人、一方が武装した市民となると勝負の行方ははっきりしている。

日本でも安保闘争や学園紛争・成田闘争といった歴史がある。
烈しい衝突で死傷者も出ているが、それでも軍が発砲するなどという事態には発展していない。
軍事政権下という違いはあるのだろうが、本来外に向けるべき銃口を内に向けた事実は重い。
お隣の国も随分と重い歴史を抱えているものだと思わせられる。

よくは知らない他国の歴史。
それを垣間見るには良い映画かもしれない。


評価:★★☆☆☆



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posted by Master Hiro at 11:30 | 東京 晴れ | Comment(0) | TrackBack(0) | (か)行の映画

2009年11月01日

大いなる西部

大いなる西部.jpg

原題: THE BIG COUNTRY
1958年 アメリカ
監督: ウィリアム・ワイラー
出演: グレゴリー・ペック/ジーン・シモンズ/キャロル・ベイカー/チャールトン・ヘストン/バール・アイヴス

<STORY>********************************************************************************************************
1870年代のテキサス州サンラファエルに、東部から1人の紳士ジェームズ・マッケイが、有力者テリル少佐の1人娘パットと結婚するためにやってきた。
出迎えた牧童頭のスチーヴ・リーチは彼に何となく敵意を示した。
スチーヴは主人の娘を恋していたのだ。
パットの父テリル少佐は大地主ルファス・ハナシーとこの地の勢力を二分し、争っていた。
2人が共に目をつけている水源のある土地ビッグ・マディを、町の学校教師でパットの親友ジュリー・マラゴンが所有していた。
彼女は一方が水源を独占すれば必ず争いが起こるところから、どちらにも土地を売ろうとしなかった・・・
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今から50年前の西部劇の名作を観た。
まだ西部劇が映画の中ではかなりの割合を占めていた頃のものである。
雄大な西部の土地。
土ぼこりと銃と馬。
そんな西部劇の要素が満載されているものの、中味はというと一味違う。

ストーリーは一見、西部劇の王道に沿っている。
相対立する二つの牧場。
互いに長いこといがみあっている。
そしてそこに一人の男がやってくる。
よくあるのが、この男の見事な拳銃捌きで悪徳牧場側をやっつけ、最後に風と共に男はいずこへと去っていく、というものである。
しかし、この映画はそんな王道パターンとはどこかが違う。

まずやってきたのが、東部の紳士。
身なりも態度も紳士としてきちんとしている。
アルコールの匂いと何日も風呂に入っていない体の西部の荒くれ男とは一味違う。
そして何より丸腰である。

水場を間にして争う二つの牧場の、一方の牧場主テリル少佐の娘と結婚するためにやってきたこの東部紳士のマッケイ。
さっそく対立するヘネシー牧場の者たちから手荒い歓迎を受ける。
ところが無抵抗でからかわれるまま。
一緒にいたのがテリル少佐の娘だったからすぐに報復となる。
エスカレートする対立。

こうした対立に対して、マッケイは銃を取って立ち上がる事をしない。
しかし腰抜けかというとそうでもない。
誰もが敬遠する荒馬を一人黙々と乗りこなし、売られた喧嘩はみんなの前でなく、あとでサシで勝負する。
人の目よりも自分がどうかという点で男を貫く。
そして丸腰で二つの牧場の間に立つ。

グレゴリー・ペックが見事に西部では異色の東部紳士として立ち振る舞う。
牧童頭は懐かしいチャールトン・ヘストン。
ガンファイトに期待していると肩透かしを食うかもしれないが、これもまた見事な西部劇。
原題は「The Big Country」。
雄大な西部の自然を背景として、そしてそんな西部により大きな視野で挑んで行った男の物語としてピッタリのタイトル。
それを見事に訳した邦訳。
名作と言われる理由がよくわかる作品である・・・


評価:★★★☆☆


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posted by Master Hiro at 11:57 | 東京 霧 | Comment(0) | TrackBack(0) | (あ)行の映画

2009年10月31日

みかへりの塔

みかへりの塔.jpg

1941年 日本
監督: 清水宏
出演: 奈良真養/笠智衆/森川まさみ/横山準/古谷輝男/緒方喬/日守新一/忍節子

<STORY>********************************************************************************************************
乱暴者や、盗癖・虚言癖のある子供などなど、問題児ばかりを集めた教護施設で日夜、子供たちの教育に頭を悩ませる先生や保母たち。
そこへ新たに多美子という非行少女が入学してくるが、反抗的な彼女は学院の生活やルールを無視して周囲の連中といざこざを起こしたり、脱走を企てたりして、保母の夏村を困らせる。
またある日、卒業生の1人が学院を訪ねてくるが、実は彼は社会復帰に失敗して舞い戻ってきたことが判明し……。
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1941年というとまさに太平洋戦争開戦の年である。
この年の12月8日に真珠湾攻撃が起こったわけである。
それに先立つ事、すでに中国戦線では泥沼の日中戦争が続いており、米英との対立が深刻化。
国内世論も騒然としていた時代。
それでもこうして映画が作られている。

舞台はとある山間部の教護施設。
親元を離れた子供たちが集団で生活している。
問題児たちが集められているのであるが、その問題のレベルが問題である。
乱暴者や、盗癖・虚言癖のある子供などであるが、現代の水準からいくとどこが問題なのだと思ってしまう。

実際、子供たちは朝5時に起き、自分たちで布団をたたみ(おねしょをした子は自分で干し)掃除をし、揃って学校へと向う生活振り。
今の子供たちにできるだろうかと思う。
中には「とうちゃんはこの頃お酒をやめて真面目に働いています」なんて手紙が子供のところへ来ているから、子供ばかりの問題というわけでもなさそうである。

確かに細々としたところでは毎日問題が起こってはいるのであるが、子供の世界では当然と言えるレベルだと思える程度の問題である。
それが「問題」とされるのは、社会の許容度が今よりもずっと狭かったのかもしれない。
そうした学校で、職員たちは親代わりを兼ねて一緒に暮らしている。

学校にある塔が、象徴として描かれる。
この象徴の下で日々の暮らしが描かれていく。
水はすべて井戸の水。
子供たちが当番で汲みに行く。
やがてこの井戸が枯れかかり、水の確保が重要課題となる。
学校の脇を通る汽車の線路には踏み切りも柵もなくむき出しのまま。
水泳は川だ。
戦時下とは思えないのどかな田舎の暮らしぶり。

若き日の笠智衆が活き活きと演技している。
ついつい今の子供たちと比較して、まったく問題ない子供たちが、「問題児」とされているのだけが違和感漂うものの、ほのぼのとした気分になる。
このあと最も辛くて厳しい時代に突入していくわけであるが、この子達はみんなどうしたのだろうとふと思ってしまった。

この頃、すでに日本映画はかなり高い水準にあったのだと思わせられた映画である。


評価:★★☆☆☆



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2009年10月26日

椿山課長の七日間

椿山課長の七日間.jpg

2006年 日本
監督: 河野圭太
脚本 : 川口晴
原作 : 浅田次郎
出演 : 西田敏行/伊東美咲/成宮寛貴/志田未来/須賀健太

<STORY>********************************************************************************************************
デパートに勤務する椿山課長はバーゲンで大忙しの中、倒れて突然死してしまう。
そんな椿山が目を覚ました場所は天国と地獄の中間に位置する“中陰役所”だった。
ここでは「天国行き」か「地獄行き」かの審判を下されるのだが、自分の死に納得がいかず、かつ戻る事情があると判断された者は、3日間だけ現世に戻ることが許される。
突然死した椿山は、現世への“逆送”を希望。
戻ってきた椿山は正体を隠すため若い美女の姿になり…
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原作は浅田次郎の小説。
浅田次郎の小説は、胸に何かが残るものが多く、そのためか映画化されるものも多い。
代表的なのは「鉄道員(ぽっぽや)」であるが、「メトロに乗って」もそうであり、「憑神」もそうである。
どれもが普通の人達の、それでいて心に残るストーリーである。

しかし、小説の映画化の場合は大きな問題点がある。
つくる方からすれば、「小説の世界を2時間という制約のある映画の世界にどう移し変えるか」であり、観る方からすれば、「読んでから観るべきか、観てから読むべきか」というジレンマである。
両方を満足させる映画となるとなかなか難しい。

しかも、近年は原作不足なのであろうか、小説の映画化が多い。
この浅田次郎を始めとして、東野圭吾・伊坂幸太郎・梨木香歩・・・
そして小説を読んでしまうと、やはり映画の魅力が半減する事もまた確かである。
この「椿山課長の七日間」は、残念ながらその典型となってしまった。

死んだあとにわずかな期間だけ現世に戻されることを許されたら・・・
そんなことをテーマにしたこの映画。
主人公は働き盛りで突然倒れて死んでしまったデパート勤務の椿山。
家のローンはまだ残っているし、残してきた老父や妻や子供の事を考えるととてもではないが「死んでいる場合ではない」と現世への「逆送」を希望する。
そして初七日までというルールにしたがって現世に戻るのであるが、あの世のルールによって現世に混乱を起こさないため、生前とは似ても似つかない美女の姿になって蘇る。

小説では主人公の戸惑い、倒れるに至った過酷なストレス、「死んでなどいられない」という悲痛な心情が細かく描写されて、読む者の共感を誘う。
しかし映画ではさらりと触れられているだけである。
仕方がない、といえばその通りなのであるが、原作を読まない者にそれが十分伝わるのであろうかと考えてしまう。

ストーリーは概ね原作に沿ってすすむ。
人は自分のことはよくわかっているが、そして自分の周りの人の事もよくわかっているつもりではあるが、得てして知らぬは自分ばかりという事もあるもの。
主人公の椿山は、死んでから現世に逆送される事によりそんな「知らなかった真実」を知る。

もしも生前それを知っていたら、どんな対応をしたのだろうか。
そんなことを想像してみるのもまた楽しい事である。
そしてそういう自分にも、今現在「知らない真実」があるのだろうか、と。

椿山にとって「知らなかった真実」はどれも衝撃的であった。
だがそれらの真実を通して最後にとった行動は心温まるものである。
うまく映画化されていなくても、そこは「浅田次郎の世界」である・・・


評価:★★☆☆☆


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posted by Master Hiro at 22:12 | 東京 雨 | Comment(0) | TrackBack(0) | (た)行の映画

2009年10月25日

結婚しようよ

結婚しようよ.jpg

2008年 日本
監督・脚本 : 佐々部清
出演:  三宅裕司/真野響子/藤澤恵麻/AYAKO/金井勇太/岩城滉一 /モト冬樹/入江若葉/松方弘樹

<STORY>********************************************************************************************************
香取家の主人・卓は、不動産会社に勤める平凡なサラリーマン。
専業主婦の妻・幸子、大学生の長女・詩織、バンド活動に情熱をそそぐ次女・歌織の一家4人で、卓の決めた「晩ご飯は必ず全員揃って食べる」というルールを守って暮らしてきた。
だが詩織は想いを寄せる苦労人の青年と会うため、歌織は波に乗り始めたバンド活動のため、揃わない日が増えていく。
家族との時間が何より幸福だった卓は、すっかり意気消沈してしまい…
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「結婚しようよ」というタイトルを見た瞬間、
♪僕の髪が肩まで伸びて、君と同じになったら、約束通り 街の教会で 結婚しようよ♪
という歌が蘇る。
そんな吉田拓郎全盛時代を知る者には懐かしくなる映画である。

そういう者の期待を裏切る事なく、この映画には全編を通して吉田拓郎の歌が流れる。
本人が歌ったものばかりではない。
中で歌われる曲もそうである。
主人公のサラリーマン卓の次女がオーディションで歌うキャンディーズの「やさしい悪魔」、「アンドゥトロワ」しかり、森進一の代表曲「襟裳岬」しかり、である。
拓郎ファンであればそれだけで満足かもしれない。

ストーリーはど真ん中のファミリードラマである。
家族第一主義の香取卓。
毎日仕事が終わるとまっすぐ家に帰り、家族全員で夕食を食べる。
それが卓の決めた香取家のルール。
ずっと破られる事なく続いてきたルールであるが、長女はある青年と恋におち結婚の話がでる。
次女は仲間たちと音楽の道に進もうとする中で、香取家のルールも存亡の危機を迎える。

誠実な仕事ぶりの卓、好きな青年ができて家族との間で悩む長女、歌の道に進みたい次女、そしてかつてはギターを抱えて歌っていた卓自信の過去。
そうしたエピソードが織りなされて進んでいく。
これでもか、というくらいに「くさい」ストーリー展開。
それでも観続けられるのは、吉田拓郎メドレーがあるからだろうか。

かつては青春時代を謳歌していた若者も、やがては人の親となりいつのまにか若者達から古いと反発されるようになる。
そんなお父さんに三宅裕司がぴったりとあてはまる。
くさ過ぎるドラマを真面目に真面目に作ってしまったという感じの映画であるが、たまにはこういうホームドラマもいいのではないだろうか・・・


評価:★★☆☆☆


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posted by Master Hiro at 11:06 | 東京 雨 | Comment(0) | TrackBack(0) | (か)行の映画

2009年10月24日

ハンティング・パーティー

ハンティングパーティー.jpg

原題: The Hunting Party
2007年 アメリカ
監督・脚本 : リチャード・シェパード 
出演:  リチャード・ギア/テレンス・ハワード/ジェシー・アイゼンバーグ/ダイアン・クルーガー

<STORY>********************************************************************************************************
かつて紛争地域から、伝説的なレポートを送り届けていたサイモンとカメラマンのダック。
しかしある事件がもとでサイモンは仕事をクビになる。
一方、本国に戻ったダックは出世していた。その二人が数年ぶりにボスニアのサラエボで再会する。
「大きなネタ」を持っていると言うサイモン。
それは虐殺事件の首謀者であり、戦争犯罪人フォックスの情報だった。
フォックスを求めて、彼らは危険地帯へと足を踏み入れる…。
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危険な紛争地帯で取材を重ねるジャーナリスト。
そんなジャーナリストは世界中にたくさんいる。
サイモンとダックもそんなコンビ。
映画の冒頭で銃弾が飛び交う中、マイクとカメラを武器に飛び回る彼らが映し出される。
そんなジャーナリストの映画かと思わせられた。

ところがストーリーは予想した方向から違う方向へと向っていく。
彼らが追うことにしたのはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の大物戦争犯罪人通称フォックス。
インタヴューするというサイモンの言葉を信じてついて行くダック。
だが、本当の意図はフォックスを捕まえて500万ドルの懸賞金を手に入れる事であった。

こうなると骨太ジャーナリストのジャーナリスト魂を発揮した映画というよりは、単なるアクション映画となってしまう。
しかし、ランボーなどが主人公ならともかく、ジャーナリストが隠れ潜む大物戦争犯罪人を捕らえるなんてのは、いくら映画でも無理はあるというもの。
映画がここらあたりから期待値を下回るようになる。

そして時間の制約もあるのだろうが、クライマックスは大幅な省略。
とりあえず帳尻は合わせた形であるが、なんともなぁと思ってしまう。
ストーリーの裏には表では戦争犯罪人の追及とはいうものの、裏では自国のエゴからわざとフォックスを追わない先進各国の思惑があると示唆されている。
それならばそれでもう少し別のストーリーがあってもよかったのではないかと思わせられる。

主演はリチャード・ギア。
どうもこの人については、「愛に生きるいい男」というイメージがついてまわる。
「愛と青春の旅立ち」とか「プリティ・ウーマン」、「オータム・イン・ニューヨーク」などといった映画がフィットするのである。
年をとったこの頃では、「綴り字のシーズン」などという家族モノがあっている。
単なるイメージの問題なのであるが、この手のハード系には合わない気がする。
そういえば「消えた天使」でもそういう印象を受けた。

ボスニア紛争については、随分と酷かったらしいが、あんまり映画の題材にはなっていない気がする。
そういう意味では興味を惹かれた映画ではあった。


評価:★★☆☆☆


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posted by Master Hiro at 11:38 | 東京 晴れ | Comment(0) | TrackBack(0) | (は)行の映画