
原題: I Am Mother
2019年 オーストリア
監督: グラント・スプートア
出演:
ヒラリー・スワンク:女性
ローズ・バーン:母親の声
クララ・ルガアード:娘
<映画.com>
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文明崩壊後の地球を舞台に、ドロイドの母親に育てられた少女の運命を描いたSFドラマ。人類の絶滅後、無人の再増殖施設内で誕生した少女。母親代わりのドロイドのもとで高度な教育を受けながら健やかに成長した彼女は、外の世界は汚染されていると教えられ、施設から出ることを固く禁じられていた。ある日、施設の外から助けを求める声が聞こえてくる。少女が慌ててエアロックを開けると、負傷した女性が倒れ込んでくる。その女性との出会いをきっかけに、少女がこれまで信じてきた世界が揺らぎ始める。負傷した女性役に「ミリオンダラー・ベイビー」のヒラリー・スワンク。「ピーターラビット」のローズ・バーンが母ドロイドの声を演じる。Netflixで2019年6月7日から配信。
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文明が崩壊したあとの地球を描いた映画というのは、『マッドマックス』シリーズを筆頭に数多創られている。しかし、「人類が絶滅したあと」という前提の映画は珍しいかもしれない。なぜなら人類が絶滅してしまったら物語はあり得ないからである。ところが、この映画では人類の絶滅後から物語が始まる。ある施設で1体のロボットが稼働する。ロボットは人間の胎児を冷凍培養した装置から取り出し、それを球体型の装置に入れる。その装置はいわば「子宮」であり、その中で胎児は成長する。やがて「出産」の時を迎え、ロボットは子供を装置から取り上げると母親のように腕に抱く。
生れたのは少女。ロボットの「マザー」は、文字通り「母親」として少女を育てる。他にも冷凍培養した胎児はいるが、少女1人しか育てない理由として「母親にも訓練が必要だから」と少女に語る。冒頭のシーンでは「人類滅亡から0日」と表示されているが、少女が美しく成長し誕生日を間近にしている頃になると、その表示は「13,867日後」を示している。単純計算で38年くらい経過しているが、少女はどう見てもティーン。その理由は後に判明する。
少女はたった一人。友達もいないが、必要な知識はマザーから学んでいる。「4人を犠牲にするか、それとも4人を救うために1人の犠牲を認めるか」なんてまるでマイケル・サンデル教授の授業のような講義を受けている。ある夜、施設内のブレーカーが落ち、エアダクトのファンが停止すると少女は外から入ってきたネズミを見つけ捕まえる。ブレーカーを復旧し、ネズミの事をマザーに伝えると、外の世界は汚染されていると言い「母」はネズミを焼却処分する。少女は常々、外の世界は汚染されていて生存不可能だと言い聞かされていたが、ネズミの出現により外の世界に興味を抱く。
外の世界への好奇心が強くなった少女は、ある夜、マザーが「充電」中に外の世界へと繋がる二重のエアロックの1つ目を解除し外を観察する。すると、怪我をした女性が現れ、助けを求めてくる。自分以外に人間がいることに困惑しながらも少女は彼女を迎え入れる。エアロックの解除に気がついたマザーが駆け付けるも、少女は咄嗟に女性を匿う。しかし、女性はマザーに敵意を示し破壊しようとする。女性の生きる外の世界では人類はロボットである「ドーザー」に攻撃され続けていて、彼女はマザーのことも信用できなかったのである。
自分の住み慣れた世界とまったく異なる外の世界と接した時、人は誰でも戸惑う。黒船来航時の江戸の人々もそうだったのかもしれない。何が真実なのか。これまで信じてきた前提条件が疑わしくなる。外の世界で人類を攻撃するロボットと少女を育てるロボット。なかなか興味深いストーリーである。同じ人間である女性を信じるべきか、育ての親のロボットを信じるべきか。外の世界にはさらに女性の仲間たちがいると言う。外の世界への誘惑に対し、マザーは施設の中で少女に新しい家族を増やすことを認める。
自分の知らない世界に対する好奇心は、人間ならではこそかもしれない。女性と共に外の世界に行くことを望むようになる少女。それを阻止しようとするマザー。その意図は何なのか。外の世界に広がる真実は何なのか。クライマックスに向かって明らかになる「真実」はなかなかのもの。ロボットが巧なのか、それを設計した人類の英知なのか。考えてみれば、登場人物はヒラリー・スワンクと少女のみ(+ロボットのマザー)という映画。
果たして少女は第二のミトコンドリアイブになるのか。何だか深く考えさせられてしまった映画である・・・
評価:★★☆☆☆