2021年06月29日

【キングダム】My Cinema File 2424

キングダム.jpeg
 
2019年 日本
監督: 佐藤信介
出演: 
山崎賢人:信
吉沢亮:えい政/漂
長澤まさみ:楊端和
橋本環奈:河了貂
本郷奏多:成きょう
満島真之介:壁
高嶋政宏:昌文君
宇梶剛士:魏興
石橋蓮司:竭氏
要潤:騰
大沢たかお:王騎

<映画.com>
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中国春秋戦国時代を舞台にした原泰久のベストセラー漫画を山崎賢人主演で実写映画化。紀元前245年、春秋戦国時代の中華西方の秦の国。戦災孤児の少年・信と漂は奴隷の身分から天下の大将軍になることを目標に掲げ、日々の剣術の鍛錬に励んでいた。ある時、漂は王都の大臣・昌文君に召し上げられて王宮へ入ることなり、信と漂はそれぞれ別の道を歩むこととなる。違う場所にいても、誓い合った夢をともにかなえようと信じていた2人だったが、王宮では王の弟・成きょうがクーデター起こし、その混乱の中で漂は命を落とす。やがて信は、漂が王座を追われた若き王・えい政の身代わりになったことを知り、生き延びたえい政に対して怒りを覚えるが、漂の遺志を受けてえい政と行動をともにすることになり……。原作者が脚本にも参加し、大規模な中国ロケと広大なオープンセットでの撮影などで原作世界を再現。山崎が主人公の信を演じ、吉沢亮がえい政と漂を1人2役で演じた。そのほかの共演に長澤まさみ、橋本環奈、本郷奏多、満島真之介、高嶋政宏、要潤、大沢たかお。監督は『アイアムアヒーロー』 『いぬやしき』 『図書館戦争』などの佐藤信介。
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時は春秋戦国時代。
ところは中華西方の国、秦。
互いに奴隷の身分である信と漂は、労働の日々の中、幼い日に見た大将軍に憧れ、いつか武功を上げて大将軍になるという夢をもっている。そして2人で密かに剣の練習を重ねている。

そんなある日、2人を見かけた大臣の昌文君が漂を身請けしにやってくる。信を気遣った漂は自分だけ王宮に行くことを躊躇するが、信に「俺は行くぞ」と宣言する。そしていつか一緒に夢を実現させる約束をして旅立っていく。1人残された信は、それでも明日を信じて1人で鍛錬を続ける。

漂がいなくなってしばらくたったある晩、信は不審な物音で覚ます。すると外には瀕死の重傷を負った漂が倒れている。漂は残る力を振り絞り、信に「ここへ行け」と地図を託し、息絶える。漂は追われていたようで、間もなく大勢の追手が迫りくる。信は、漂が携えていた剣を手に取ると、長年暮らした主の家を離れる。その後、漂を追ってやってきた王の役人たちによって村人は皆殺しにされ、家々は焼き払われる。

信が地図に書かれていた村に着くと、そこには漂に瓜二つの青年がいる。それは秦の王、嬴政。実は嬴政は弟の成蟜の反乱により命を狙われ、逃げ延びていたのである。漂は王に似ていたことから王の影武者として仕えていたが、反乱の中、嬴政を逃がすための囮となり、殺されたのである。その事実を知ると、信は嬴政に敵意をむき出しにするが、そこに成蟜の刺客朱凶が現れる。信は、実際に漂の仇である朱凶を倒し、その場に現れたフクロウの被り物をした河了貂(てん)の手引きで嬴政とともに反乱軍から逃れる。

初めは漂を都合の良い身代わりにした嬴政に対し、反感を抱いていた信であるが、信が自らの意思で嬴政を救おうとしたことを知り、また刺客の毒矢を受けて倒れた自分を嬴政自らおぶって昌文君との合流地点まで運んだことを通し、信は嬴政の人柄を知っていく。その一方、王宮では成蟜が、嬴政の首を討ち取ったという報告をイライラしながら待っている。そこへ王騎将軍が、「昌文君を討ち取った」と首を持ってやってくる。顔は判別不能だったが、成蟜の側近竭氏は王騎をねぎらい、請われるままに昌文君の領土を王騎に与える・・・

王家の権力闘争とそれに巻き込まれる主人公信。物語は、王家の権力闘争を中心に描かれていく。劣勢ながら巻き返しを図らんとする嬴政。嬴政には昌文君という忠臣が付き従う。ともに夢を語り合った漂が、絶体絶命下の状況でまるで本物の王のように皆を鼓舞して勇気を与え、嬴政を救うために自ら囮になって敵を引きつけ走り去ったと聞き、信は漂への思いを募らせる。それはそのまま嬴政を助けて王位に復帰させることを意味する。数の上で劣勢な嬴政は、王家とかつて友好関係にあった山の民に協力をあおぐことにする・・・

こうして王位復帰を目指す嬴政とそれに協力する信の姿を物語は描いていく。原作はマンガで、長いストーリーであるが、映画はそれをダイジェストで伝える。原作マンガは1巻しか読んでいないが、映画はうまくコンパクトにまとめている。特に原作を読んでいなくても違和感はない。友と抱いた夢を追いかける主人公の成長を追う物語でもあり、それはそれで面白いが、直感即行動型とも言える主人公に感情移入できるかと言えば、ちょっと難しい。まぁ、観る人の価値観次第のところがある。

日本人が中国の王朝について書くということは、浅田次郎なんかの例もあるが、やはり題材豊富というのがあるのかもしれない。日本では成り立ちにくいストーリーだったりするとなおさら感はある。日本人だ中国人だとあまり意識せず、ストーリーだけを追っていったら面白いと思う。勧善懲悪のストーリーは安心して見ていられる。日本人が織りなす中華王朝の物語。リラックスして楽しみたい映画である・・・


評価:★★☆☆☆









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2021年06月27日

【レベル16 服従の少女たち】My Cinema File 2423

レベル16 服従の少女たち.jpeg

原題: Level 16
2018年 カナダ
監督: ダニシュカ・エスターハジー
出演: 
ケイティ・ダグラス:ヴィヴィアン
セリーナ・マーティン:ソフィー
サラ・カニングサラ・カニング:
ピーター・アウターブリッジ:

<映画.com>
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謎の寄宿学校に潜む恐るべき闇を描いたサスペンススリラー。孤児の少女たちが暮らす寄宿学校。外界との接触が一切絶たれたこの学校では、「服従」と「清潔さ」が美徳として重んじられ、規則正しい生活を送り「純潔」を保った結果、優秀な生徒は素晴らしい家族に里子として迎え入れられると教え込まれていた。最終学年である「レベル16」に進級した16歳のヴィヴィアンは、同級生のソフィーから、毎日投与されるビタミン剤を飲まないよう説得される。その夜、いつものように眠りに就けずにいた2人は、驚くべき光景を目撃する。
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とある無機質な建物内で少女たちが授業を受けている。と言っても、学校の授業ではなく、肌を美しくというような内容のもの。少女たちはそれが終わると洗顔のため一列に並ぶ。そして一人ずつカメラの前で顔を洗う。そしてそれを見ていた者からOKが出ると次の少女に代わる。よくわからない展開だが、観ている者は?マークとともに観続けるしかない。

並んでいた1人の少女ソフィアが石鹸を床に落としてしまう。ソフィアは視力が弱く、落ちた石鹸の場所がわからない。慌てたソフィアはヴィヴィアンに助けを求める。ヴィヴィアンは躊躇するものの石鹸を拾ってソフィアに渡す。ところがタイミング悪く、それで自分の洗顔の順番に遅れる。それがなぜか懲罰対象のようで、ヴィヴィアンは守衛に連れて行かれる。必死にソフィアに「本当のことを言って!」と求めるが、ソフィアも懲罰は恐ろしいようで黙秘したままである。

それが「レベル10」。やがてヴィヴィアンも成長し、「レベル15」に進んでいる。少女たちは、相変わらず「女性の7つの美徳」である「従順・清潔・忍耐・謙遜・純潔・温厚・節度」を唱えさせられる生活を送っている。外の世界は汚染されており、少女たちはやがて養女に行くと説明されている。それが少女たちの目標になっている。成長したヴィヴィアンは、エヴァと行動を共にしている。ヴィヴィアンはルームメイトの室長を務める優等生である。

ある日、少女たちのもとに担任の教授が現れ、いよいよ全員が最終のレベル16に進めると伝え、新たに部屋分けを行う。レベル16になるといよいよ里子にもらわれていくと教えられており、どこか少女たちもウキウキとした雰囲気に包まれる。ヴィヴィアンとエヴァは「ローズ・ホール」という名のホールにある部屋に移る。そこでヴィヴィアンが再会したのがソフィア。しかし彼女は顔色を変えず、無表情で自分が室長に名乗りを上げる。

レベル16では一人ずつビタミン剤を飲む。監視カメラの付いた洗面台で一人一人それを飲んでいく。ヴィヴィアンはレベル10での一件からソフィアのことを許していない。ヴィヴィアンは、ソフィアが意味の分からない行動を取るのを目撃するが、あえて問うこともしない。すると、トイレを出たところでソフィアは強引にヴィヴィアンに話をしようと持ち掛ける。ヴィヴィアンは「私が『不潔』であることを絶対に言わないで」とソフィアに詰め寄る。どうやら、ヴィヴィアンはソフィア許せないだけでなく、懲罰を受けたことを隠したいらしい。

レベル16になれば少女たちも地味な制服から白いドレスをもらう。ドレスの帯には英語で自分の名前が記されていたが、少女たちは字が読めない。その理由もあとで判明する。そしてソフィアは、ヴィヴィアンにビタミン剤を摂るなと告げる。それまで教師を疑うこともなく服従してきたヴィヴィアンだが、感じるところがありビタミン剤を飲んだふりをすると、そっとトイレで吐き出す。

その夜、就寝の時間になるとソフィアがこっそりヴィヴィアンに守衛が来るので寝たふりをしろと告げる。間もなく教授と守衛ふたりが部屋に現れ、寝たふりをしていたヴィヴィアンともう一人の少女を運び出す。2人は上の階の別室の寝椅子に寝かされるが、やがてその部屋に教授と1組の老夫婦がやって来る。夫は2人の少女の肌を見て、日光による損傷が全くないと驚嘆の表情で言う。そして夫婦は教授とともに部屋を出ていく。

どんな物語なのかと思っていたが、このあたりでだいたいわかってくる。パターンとしては、『アイランド』や『私を離さないで』(My Cinema File 952)と同じものである。つまり、少女たちは、一部の富裕層のために「培養」されているもので、『アイランド』や『私を離さないで』(My Cinema File 952)が臓器を提供する話だったものが、ここではあるものになっている。どちらにしても、まともな感覚の人間であればありえないことであるが、そういう人ばかりではない。

恐ろしきは人間なり。
考える者もそれを利用する者も。少女たちは貧しい家庭から売られてきている。おそらく、「幸せに暮らせる」とかなんとか言われて、親たちも泣く泣く売ったのかもしれない。そして物心つく前からこの施設で洗脳されて育つ。外の世界は汚染されていると教えられて。字も教えられず、テレビも観られず。唯一、「動く絵」と呼ばれる映画を見せてもらえるが、それも同じ映画。おそらく、余計な知識がつかないようにと配慮されているのだろう。

そんな中で、ソフィアが真実に気づき、そしてヴィヴィアンを巻き込む。あとは予想通りの展開となっていく。なんとなくハリウッド映画とは異なる雰囲気がしていたが、それもそのはずで、これはカナダの映画。こんなのは荒唐無稽なSFだと言い切れないところがどこかにある。ラストで大きな傷を負ったヴィヴィアン。恐らくソフィアとは真の友情が芽生えたに違いない。施設を出た2人にどんな人生が待っているのか。そんな想像をしてみた映画である・・・


評価:★★☆☆☆









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2021年06月26日

【ワンダーウーマン1984】My Cinema File 2422

ワンダーウーマン 1984.jpeg

原題: Wonder Woman 1984
2020年 アメリカ
監督: パティ・ジェンキンス
出演: 
ガル・ギャドット:ダイアナ/ワンダーウーマン
クリス・パイン:スティーブ・トレバー
クリステン・ウィグ:バーバラ
ペドロ・パスカル:マックス
ロビン・ライト:アンティオペ
コニー・ニールセン:ヒッポリタ
リリー・アスペル:ダイアナ(少女時代)
リンダ・カーター:アステリア

<映画.com>
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DCコミックスが生んだ女性ヒーロー、ワンダーウーマンの誕生と活躍を描き、全世界で大ヒットを記録したアクションエンタテインメント『ワンダーウーマン』の続編。スミソニアン博物館で働く考古学者のダイアナには、幼い頃から厳しい戦闘訓練を受け、ヒーロー界最強とも言われるスーパーパワーを秘めた戦士ワンダーウーマンという、もうひとつの顔があった。1984年、人々の欲望をかなえると声高にうたう実業家マックスの巨大な陰謀と、正体不明の敵チーターの出現により、最強といわれるワンダーウーマンが絶体絶命の危機に陥る。前作でもメガホンをとったパティ・ジェンキンス監督のもと、主人公ダイアナ=ワンダーウーマンを演じるガル・ギャドットが続投し、前作でダイアナと惹かれあった、クリス・パイン演じるスティーブも再び登場する。
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スーパーヒーローモノでは、マーベルが一歩先行しているが、DCコミックスも追い上げている。そのDCコミックス側の女性ヒーローの代表がワンダーウーマン。続編が創られたのも順当なところであろう。前作では、時代背景が第一次世界大戦となっていたが、本作はタイトルにある通り、時代を経て1984年となっている。

ストーリーはダイアナの幼少期から始まる。
強い戦士になることを目指すダイアナは、大人のアマゾン族による競技大会に飛び入りで参加する。内容はと言えば、走力、水泳、馬術、弓術等総合力を問われる障害物競走的であるが、なんとダイアナは大人を相手に堂々トップを走る。ところが、油断をしたところで障害物に引っ掛かって落馬してしまう。機転を利かせて追いつくが、近道をしたことを責められアンティオペ将軍より失格を命じられる。落胆するダイアナを母ヒッポリタ女王は「必ずあなたの時代がくる」と慰める。

そして1984年。
ダイアナはワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館の職員として働くかたわら、正体を隠しワンダーウーマンとして悪人を懲らしめている。しかし、前作で愛し合い、命を落としたスティーブ・トレバーのことが忘れられずにいる。ある日、FBIより博物館に強盗事件の証拠品として古美術品が持ち込まれ、鑑定を依頼される。ダイアナは新任の学芸員バーバラと共に調査を始める。バーバラは地味で影の薄い存在で、ダイアナのような女性に憧れを持っている。

鑑定を依頼された古美術品の中に所持者の願いを1つだけ叶えると言われている魔法の石ドリーム・ストーンがあることに気付いたバーバラとダイアナ。普通誰でもそうするかもしれないが、半信半疑ながら無意識に願い事をする。バーバラは「ダイアナになりたい」と願い、ダイアナは最愛の人が生き返ることを。

その頃、テレビではブラック・ゴールド社の経営者マックス・ロードが「あなたの願いは全て私が叶えよう」と決まり文句を言い放つCMが流れている。しかし会社の経営状況は芳しくなく、マックスは金策に四苦八苦している。マックスは、ドリーム・ストーンのことを知っており、寄付者として博物館の館内見学を装って突然来訪。バーバラに接近し、言葉巧みにドリーム・ストーンを盗みだす。

このドリーム・ストーンの魔法は本物。ただし、叶えられる願い事は1人につき1つだけ。やがてバーバラは、次第に周囲の反応が変化したことに気付く。みんなが挨拶をしてくれるようになり、服装も変えるうちにダイアナのようになっていく。そして参加したチャリティパーティでは人々の注目を集める。一方、同じパーティに参加したダイアナは、現代人の身体を借りたスティーブと再会する。信じられないことだが、現実に目の当たりにすれば否定はできない。改めてドリーム・ストーンの威力を知ることとなり、2人でこの石について調べることにするが、石は既に持ち出された後。

一方、石を手に入れたマックスは「ドリーム・ストーンになりたい」という願いをする。これもなかなか考えている。なにせ願い事は1人につき1つだけ。人間であれば、望みは幾つでも叶えたい。ならば自らが相手の願いを叶える石になり、言葉巧みに自分の希望を何も知らない相手の希望として言わせれば、自分の望みを叶えていくことができる。ブラック・ゴールド社には次々と面接希望者がやっくるし、これまでに石油の一滴も出なかった土地からは、次々と石油の試掘に成功し、事態は一気に好転していく・・・

ワンダーウーマンは年を取らない。前作から70年の時を経ているが、容貌は変わらない。マーベルで言えばキャプテン・アメリカと同世代(第一次世界大戦と第二次世界大戦の差はある)。それが今回は、ドリーム・ストーンによって変わってしまった人々を相手にすることになる。ドリーム・ストーンは願いを叶える幸せの石ではなく、見返りにその文明を滅ぼすという恐ろしい負の面がある。これを知ったダイアナは、スティーブと共にマックスを止めようとする。しかし、これを阻止しようとするのがバーバラ。というよりも人間の悲しい欲望。

バーバラはダイアナの美しさだけではなく、ワンダーウーマンとしての肉体やパワーをも身につけている。ダイアナがマックスを止めれば自分はかつての存在感のない、誰にも振り向いてもらえない自分に戻ってしまう。バーバラはそれを恐れる。そして願い事には代償があり、ダイアナはスティーブを生き返らせた代償に本来のパワーを奪われていく。全ての願いに代償があり、気がつけば世界は大混乱に飲まれ、米ソは決定的な対立を迎える。

ダイアナもマックスを止めるためには本来のパワーが必要。しかし、それを取り戻すためには願い事を取り消さないといけない。せっかく長年の悲しみから解放され、スティーブと再会できたのにまた失うことには抵抗がある。これは難しい問題である。世界のために自分を犠牲にしなければいけないのか。その葛藤はバーバラもマックスも抱く。ドリーム・ストーンはそんな人間の弱さにつけ込む。『マトリックス』でも苦しい現実世界より幸せな仮想世界を選んで仲間を裏切る男が描かれていたが、人間なら誰でも悩むだろう。

スーパーヒーローモノゆえにワンダーウーマンは、世界を救うために活躍する。されど愛する人を諦めてまでそうしなければならないのか。そうした人間ドラマの部分も今回は見どころと言える。観る者も自分の身に置き換えてみると、登場人物たちの気持ちがよくわかるかもしれない。そして世界を救ったのは、人間の基本的な心。欲望にまみれるのも人間。そして良心に立ち返るのもまた人間である。

このシリーズまだまだ続くのであろうか。これはこれで続いてほしいと願いたい一作である・・・


評価:★★☆☆☆









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2021年06月25日

【暁に祈れ】My Cinema File 2421

暁に祈れ.jpeg

原題: A Prayer Before Dawn
2017年 イギリス・フランス
監督: ジャン=ステファーヌ・ソベール
出演: 
ジョー・コール:ビリー・ムーア
ポンチャノック・マブラン:フェイム
ビタヤ・パンスリンガム:フリーチャー所長
ソムラック・カムシン:スティン
パンヤ・イムアンパイ:ゲン

<映画.com>
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タイの刑務所に服役し、ムエタイでのし上がることに成功したイギリス人ボクサー、ビリー・ムーアの自伝小説を映画化したアクションドラマ。タイで自堕落な生活から麻薬中毒者となってしまったイギリス人ボクサーのビリー・ムーアは、家宅捜索により逮捕され、タイでも悪名の高い刑務所に収監される。殺人、レイプ、汚職がはびこる地獄のよう刑務所で、ビリーは死を覚悟する日々を余儀なくされた。しかし、所内に新たに設立されたムエタイ・クラブとの出会いによって、ビリーの中にある何かが大きく変わっていく。『グリーンルーム』のジョー・コールが主人公ビリー役を演じる。監督は『ジョニー・マッド・ドッグ』のジャン=ステファーヌ・ソベール。
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男は、入念なマッサージを受け、薄いバンテージを捲くと麻薬らしきものを吸い、リングに上がる。試合会場はどこか場末の様子で観客もどうやらみな賭けをしている様子。キックボクシングのようであるが、グローブもつけず、どうやら地下の試合のようである。そして男は対戦相手に打ちのめされノックアウト負けする。男の名はビリー・ムーア。イギリス人であるが、どういう理由からかタイへやってきて、アンダーグラウンドの世界でリングに立っている。

稼いだファイトマネーも結局ヤーバーと呼ばれる麻薬につぎ込んでいるようで、やがてタイ警察が部屋に乱入してきて、ビリーは逮捕される。そして有罪判決を受け、刑務所に収監される。この刑務所が凄い。囚人が多すぎるのか、たこ部屋のような房内は囚人同士が身を寄せ合って眠るありさま。タイ人の受刑者はみなことごとく全身に刺青を入れている。白人のビリーはひと際目立つ存在である。

この刑務所の雰囲気が何とも言えない。外国人はビリーのみ。何か言われても言葉はわからない。全身刺青だらけの男はその存在だけで威圧感たっぷりなのに、何やらまくしたてられるとかなりビビる。同じタイ人で刺青のないきれいな男が囚人たちに取り押さえられカマを掘られる。ビリーも抑え込まれ、何やら刃物を突き付けられ、それを見せつけられる。そして翌朝、「レイプ」された男が首を吊っている。周りの男たちはそれを見ても驚きも慌てもしない。

ところどころでビリーは金を要求されるが、持っているわけがない。「家族は?」と聞かれるところを見ると、他の囚人たちは家族に仕送りをしてもらっているのだろう。ビリーはある看守からヘロインを渡されるが、変わりにムスリムの囚人を痛めつけろと命じられる。喧嘩をすれば懲罰房としてさらに劣悪な独房に入れられる。会話と言えば片言の英語のみで、観ていてドキュメンタリー映画のようである。

さらに刑務所内にはレディボーイと呼ばれる「女性囚人」がいる。タイはこの手のおかまが多いというイメージがあるが、当然ながら囚人にもいる。刺青モンスターの集団をさんざん見た後だとそれなりに美人に見えてしまう。当然ながらなのだろうが、そうしたレディボーイたちは鉄格子内の売店で働いている。ビリーも刑務所マジックにかかったのか、レディボーイの1人フェイムと懇意になる。

やがてビリーは所内にあるムエタイジムに興味を持つ。もともとボクサーであるし、言葉は通じなくても格闘技なら問題ない。打ち込むものが必要だったのかもしれないが、ビリーはジムのコーチに頼み込み、一度は断られるもフェイムに賄賂用のタバコをもらい、なんとかジムに入れてもらうことに成功する。ここからビリーの再生が始まる。スポーツを通じての再生はよくある話であるが、ビリーもまたその道を歩む。

ドキュメンタリーのような映画であるが、これはなんと実話であるという。そしてご本人も最後に父親役で登場する。そしてリアリティ溢れる刑務所も、見だけで近寄りたくない囚人たちもすべて本物であると言う。そのリアリティは、間違ってもタイで犯罪を起こさないようにしようと強く思うほどである。

ストーリーを追うというよりも、1人のイギリス人が体験した他にはない体験を追体験できるという意味がある映画かもしれない。タイの刑務所の雰囲気をよく味わいたい映画である・・・


評価:★★☆☆☆









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2021年06月20日

【娚の一生】My Cinema File 2420

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2015年 日本
監督: 廣木隆一
出演: 
榮倉奈々:堂薗つぐみ
豊川悦司:海江田醇
向井理:中川俊夫
安藤サクラ:秋本岬
前野朋哉:園田哲志
落合モトキ:友生貴広
根岸季衣:今日子
濱田マリ:小夜子

<映画.com>
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榮倉奈々と豊川悦司が初共演を果たした大人のラブストーリー。「きいろいゾウ」「100回泣くこと」の廣木隆一監督が、西炯子の同名コミックを原作に、つらい恋愛をしてきた女性と謎多き年上男性の奇妙な共同生活を描く。東京で仕事に追われる毎日を送っていたOLのつぐみは、祖母が他界して空き家になった田舎の一軒家に引っ越すことに。そこへ、つぐみの祖母を慕っていたという50代の大学教授・海江田が現われる。つぐみに一方的に好意を抱いた海江田は、その家になかば強引に住みついてしまう。そんな海江田に戸惑いを隠しきれないつぐみだったが、一緒に暮らすうちに少しずつ心を開いていく。
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映画は若い女性が染物に精を出すところから始まる。干した染物が良い天気の下、翻る。その中で女性はある男とそっと抱き合う。なかなかいいシーンである。そして月日が流れ、同じ家で葬儀が行われている。亡くなったのは染色家の女性。その葬儀で気を利かせて働くのは孫娘のつぐみ。祖母の葬式を終えた翌日、賑やかだった家は静かである。1人になったつぐみがぼんやりとしていると、初老の男が縁側に現れる。田舎とは言え、ずうずうしい。

男は海江田醇と名乗り、なんと前日の夜から離れにいたと言う。さらにその鍵は祖母から貰ったという。そしてこれからしばらくそこで過ごすと。海江田は大学の教授であり、かつて染色を教えていた祖母の教え子だったらしい。そして離れのキッチンのガスが故障していると言い、海江田はつぐみの朝食に同席する。親子以上に年が離れていそうではあるが、どこか態度は不遜である。つぐみは内気なのか優柔不断なのか、そんな海江田に言いたいことが言えない。

さらにつぐみが買い物から帰ると、海江田は近所のお婆さんと世間話をしている。そしてなんと海江田はつぐみと結婚するつもりだと語る。驚いたつぐみは文句を言うが、海江田は意に介さない。さらに洗濯機にはいつの間にかパンツが入っている。それに対しても文句を言うつぐみに、海江田は「簡単に洗ってくれればいい」とさらりと答える始末。ペースはすっかり海江田である。出ていけとも言えず、海江田のペースのままつぐみはせめてもの反撃として家事の分担を言い付ける。

まもなく東京から親友の秋元が遊びに来る。それで実はつぐみは東京で不倫相手と別れ、傷心のまま祖母の家に来たことがわかる。愁いを帯びた表情はそんな傷心の表れだったようである。はきはきした秋元は海江田に根掘り葉掘り身上を聞き出す。それで海江田は既婚歴もなく独身で、生まれは京都。今は大学の哲学教授だとわかる。つぐみよりもしっかりしている秋元は帰り際、つぐみに遠慮がちに結婚する事を明かして帰って行く。

失恋の身に親友の結婚話はこたえる。つぐみは死にたいと吐露するが、海江田は慰めるどころか、ゴミ袋を1枚渡し、飛び降りるならあたりに飛び散らないようにこれを被って飛べと冷たく言い放つ。そして翌日、つぐみは海江田の言葉を思い出し、50万円出して自分で買ったネックレスを身につける。ところが、外出した時、どこかでネックレスを落としてしまう。探しようもなく、「どうせ負け犬ネックレスだ」と言い諦める。それを聞いた海江田は怒り出し、雨の中出かけていくとずぶ濡れになって帰宅する。そしてつぐみに靴下を脱がせるが、ついでにつぐみを抱き締める。驚いて海江田を突き飛ばすつぐみだが、その胸元にはネックレスが戻っている。

初めは海江田を快く思っていなかったつぐみだが、一緒に暮らすうちにだんだんと気持ちが変化していく。田舎の町ならではの地元の人たちとの交流があり、心の距離は縮まっていく。これはそんな初老の男と傷心の若い女性の恋物語。初老に近い自分としてはなかなか夢のある物語。海江田を演じるのは豊川悦司。かつてのイケメン俳優も初老の役が不自然でなくなっている。

タイトルにある「娚」は「おとこ」と読むらしい。漢和辞典にも載っていない漢字であるが「女が横にいてこそ男」という風に解釈もでき(個人的にはそのように解釈したい)、なかなか凝ったタイトルである。それにしてもどうやら冒頭で染色家の女性と抱き合っていたのは海江田で、女性はつぐみの祖母。母娘でもどうかと思うが、祖母孫と付き合うというのもなかなかのものである。

物語はさらに見知らぬ少年を迎え、もう1つの展開を見せる。その少年を巡る物語もあり、ドラマは静かな味わいを見せていく。年の差はあっても、田舎の町で静かな幸せな生活がつぐみの前に広がる。ラストでも干された染物が翻る。冒頭のシーンと同じようでいて、そして新しい未来を示唆するシーンが何となく静かな余韻を残す映画である・・・


評価:★★☆☆☆









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