2022年12月31日

【名も無き世界のエンドロール】My Cinema File2637

名も無き世界のエンドロール.jpeg
 
2021年 日本
監督: 佐藤祐市
原作: 成薫
出演: 
岩田剛典:キダ
新田真剣佑:マコト
山田杏奈:ヨッチ
中村アン:リサ
石丸謙二郎:安藤
大友康平:宮澤社長
柄本明:川畑

<映画.com>
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岩田剛典と新田真剣佑が初共演し、第25回小説すばる新人賞を受賞した行成薫の同名小説を映画化。それぞれ複雑な家庭環境で育った幼なじみのキダとマコト。同じ境遇の転校生ヨッチも加わり、3人で支え合いながら平穏な毎日を過ごしてきた。しかし、20歳の時にヨッチが2人の前からいなくなってしまう。そんな2人の前に政治家令嬢でトップモデルのリサが現れ、マコトは彼女に強い興味を抱くが、まったく相手にされない。キダはあきらめるよう忠告するが、マコトは仕事を辞めて忽然と姿を消してしまう。そして2年後、裏社会に潜り込んでいたキダは、リサにふさわしい男になるため必死で金を稼いでいたマコトと再会する。マコトの執念と、その理由を知ったキダは、マコトに協力することを誓い、キダは「交渉屋」として、マコトは「会社経営者」として、それぞれの社会でのし上がっていく。そして迎えたクリスマスイブ、マコトはキダの力を借りてプロポーズを決行しようとするが、それは2人が10年の歳月をかけて企てた、ある壮大な計画だった。監督は『累 かさね』「キサラギ」の佐藤祐市。
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クリスマスの夜。賑わう街中をサンタクロースの恰好をした男キダが歩いていく。「お前にもドッキリ仕掛けといたぞ」とスマホの向こうから幼なじみのマコトの声が聞こえる。そんなキダとマコトは、幼い頃から兄弟のように育ってきている。昔からドッキリを仕掛けることが生き甲斐のマコトと、そのドッキリに毎回引っかかってしまうキダ。大人になった2人は、「プロポーズ大作戦」を決行しようとしている。

時は遡る。キダとマコトは共に両親を亡くしているが、2人が小学生の時、一人の女の子が転校してくる。その女の子ヨッチは、2人と同じで両親がなく孤独であった。同じ境遇であったことから、2人はヨッチと仲良くなる。そして3人は中学、高校と仲の良い時を過ごす。男2人と女1人。こういうパターンはいつしか三角関係になっていくものであるが、3人にはそんな様子は見えない。

そして時が過ぎ、キダとマコトは自動車修理工場で働いている。そこにある日、高級車に乗ったリサという女がやってくる。いかにも金持ちのお嬢さん風であるが、態度は極めて横柄。乗ってきた高級車は前部を激しく損傷している。ルールを無視して一方的に修理をしろと詰め寄る。問い詰めれば無免許で父にバレると困るのだと言う。破損の原因は犬を轢いたとリサは言う。工場の宮澤社長に金を渡し内密に修理するよう迫る。

高飛車な態度のリサにキダは呆れるが、マコトは果敢にリサを食事に誘う。得意の手品で一輪のバラをリサに差し出し、さらに万国旗を出して見せる。しかし、この程度でリサが興味を示すわけもない。マコトを見下したリサはその場を去っていく。「住む世界が違う」と言うキダに、「世界じゃなく、分けられてるだけだ」とマコトは答える。それから間もなくしてマコトは姿を消す。

やがて自動車工場は閉鎖されるが、社長の好意でキダはある男を紹介される。それは裏社会で生きる男。幼馴染だと語るその男は、交渉屋に向いているとしてキダを雇う。そこでキダはメキメキと頭角を表す。そして裏のルートを駆使して行方不明になっていたマコトの居場所を突き止める。マコトはひたすら金を集めており、集めた金でワイン輸入会社を買い若手実業家として表社会でのし上がっていく。目的は大物政治家の娘でモデルのあのリサに近づくためであった・・・

『名も無き世界のエンドロール』とは何か深い意味がありそうなタイトルだと思い、映画に対する関心も高かった。どんな内容なのかという先入観を持たずに観たので、展開が読めない。「エンドロール」については、途中でヨッチが「映画は終わるから嫌い。エンドロールが流れると涙が出てきて死にたくなる。現実に戻るのが嫌」と語ることからきている。そしてこれが最後に大きな意味を示してくる。社会に出た2人のシーンにヨッチが出てこない。この疑問も最後に明らかになる。

最後の最後にすべてをひっくり返すストーリー。幸福の絶頂から恐怖のどん底へ。それは見事などんでん返し。それは見事なドッキリ。観ていてやられた感が漂うが、スッキリするというものではない。それは虚しく、そしてもの悲しい。最後の最後までキダにドッキリを仕掛けたマコト。ラストで手を繋ぎ横断歩道を渡るマコトとヨッチ。そしてそれを見つめるキダ。その表情が何とも言えない。

2022年を締めくくる最後の映画であったが、締めくくりに相応しい、心に染み入る映画である・・・


評価:★★★☆☆







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2022年12月30日

【ウルフズ・コール】My Cinema File 2636

ウルフズ・コール.jpeg

原題: Le chant du loup
2019年 フランス
監督: アントナン・ボードリー
出演: 
フランソワ・シヴィル:シャンテレッド(ソックス)
オマール・シー:ドルシ
レダ・カテブ:グランシャン
マチュー・カソヴィッツ:提督(ALFOST)
パウラ・ベーア:ディアン
ジャン=イヴ・ベルトルート:CIRA司令
アレクシス・ミカリック:レフローヤブル副長

<映画.com>
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正体不明のソナー音に翻弄される原子力潜水艦に迫る危機を描いたフランス発の潜水艦アクション。並み外れた聴覚をもつシャンテレッドは、フランス海軍原子力潜水艦チタン号に特別分析官として乗艦していた。わずかに聞こえる音を頼りに敵の動向を探るのが彼の重要な役割だったが、シリアでの潜航任務中、怪しげな音に気づいたものの識別に失敗し、その判断ミスから危機を招いてしまう。「黄金の耳」とまで言われるシャンテレッドの耳を惑わせたのは、まるでオオカミの歌(呼び声)のような正体不明のソナー音だった。再びその音が聞こえてきたとき、シャンテレッドは大きな決断を迫られる。主演は「ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから」のフランソワ・シビル。共演に『最強のふたり』のオマール・シー、「負け犬の美学」のマチュー・カソビッツ、「永遠のジャンゴ」のレダ・カティブらフランスの実力派が集う。
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物語の冒頭では、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの言葉が紹介される。
「人間は3種類存在する。生きている人々、死んでいる人々、そして海に住んでいる人々」。
アリストテレスのこの言葉がどういう意図だったのかよくわからないが、よく見つけてきたものである。

主人公はフランス海軍潜水艦クルーのシャンテレッド(通称ソックス)。「黄金の耳」と称される並外れた聴力を持っており、敵の動向を探る特別分析官をしている。冒頭では、シリア沿岸タルトゥースで活動する特殊部隊の工作員たちを回収するという任務を担い、潜航中の攻撃型原子力潜水艦「チタン」に乗艦している。ソックスはそこでソナーを使い周辺の海域探索を行っている。

工作員たちの回収地点へ向かう途中、ソックスは正体不明の音をキャッチする。音と音声パターンだけで鯨などの生物なのか潜水艦などの艦艇なのかを判断するというのは、考えただけでも難しいと思う。そして周辺に正体不明の潜水艦がいることを確認する。4枚羽のプロペラ音はデータになく、どのタイプの潜水艦か確認できない。そして「オオカミの歌」と称される遠吠えのような音を聞く。それが“ウルフズコール”と呼ばれる敵の対潜アクティブソナー音。潜水艦にとっては恐怖の音である。

相手がロシア海軍の新型艦クーガー級だとわかり、艦内は戦闘体制に移行する。さらにロシア海軍の対潜ヘリコプターが発進する事態に、チタン艦長のグランシャンは、浮上させた「チタン」の艦上から携行用地対空ミサイルで対潜ヘリコプターを撃墜する。実践的にありうるのかどうかわからないが、なかなか面白い戦闘シーンである。そしてチタンは無事、工作員たちを回収し母港へ帰還する。工作員の回収も魚雷発射管から受け入れるというもの。これもなるほど感がある。

肝心のソックスは、CIRA(音響分析センター)の司令官に呼び出され、一連のソナーの分析ミスについて叱られた挙句、謎のスクリュー音について調査する許可をもらえずに終わる。CIRAの出した結論は、ドローンであるというもの。今や潜水艦にもドローンがあるのかと思う。一方、グランシャンと副長のドルシは、ジャック・ポルト提督に呼び出され、ロシアとの関係悪化から国際紛争の抑止力として出港させる新型戦略ミサイル原潜「レフローヤブル」への転属をグランシャンに命じる。「チタン」の後任艦長にはドルシが着任する。

その頃、謎のスクリュー音の正体を探るべく、ソックスはCIRA司令官の部屋へ侵入する。ソックスは、CIRA司令官との会話とパソコンのパスワードを叩くキーボードの音の記憶を頼りにパスワードを解除し、機密情報を閲覧する。さらにCIRAの資料庫に忍び込み、謎のスクリュー音の音声パターンをもとに、該当する資料を探す。そして、その正体がドローンではなく、ロシア製の旧式潜水艦「ティムールIII型」だったと突き止める。旧式艦であるがゆえに、データに登録されていなかったのである・・・

潜水艦映画と言えば、『Uボート』に代表されるように、海上の駆逐艦との息詰まる死闘というイメージが付きまとう。実際、潜航中に攻撃されれば、潜水艦のクルーに逃げ場はなく、そのまま海の藻屑となってしまう恐怖がある。そして映画となれば、それが定番となるのも当然であるが、この映画はちょっと趣が異なる。それはかつての映画『クリムゾンタイド』を思い起こさせる。これは別の意味での恐怖でもある。

緊迫したストーリー展開だが、主人公のソックスが資料を探しに書店を訪れ(書店にあるのかと思わず突っ込んでしまう!)、店員のディアナといい仲になってしまう。出会ってすぐベッドインするのだが、フランス的には普通なのかもしれないが、余計なエピソード感が漂う。ちなみに、主人公のあだ名の由来は、ブーツの靴音が気になり、艦内でずっと靴下で過ごしたというところから来ている。なかなか面白いが、この主人公には気の弱いところがあって、個人的には共感しにくいところがある。

思いもかけなかった「敵」との対戦。潜水艦同士の戦闘はミリオタにはよくわかるのかもしれないが、ちょっとわかりにくい描写である。それはなんとも言えない結末。所詮、軍事衝突など人間の愚かしさの表れでもあると言えるから、いいのだろう。それなりに楽しめたフランス映画である・・・


評価:★★☆☆☆









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2022年12月29日

【コーダ あいのうた】My Cinema File 2635

コーダ あいのうた.jpeg

原題: CODA
2021年 アメリカ・フランス・カナダ
監督: シアン・ヘダー
出演: 
エミリア・ジョーンズ:ルビー・ロッシ
トロイ・コッツァー:フランク・ロッシ
マーリー・マトリン:ジャッキー・ロッシ
ダニエル・デュラント:レオ・ロッシ
フェルディア・ウォルシュ=ピーロ:マイルズ
エウヘニオ・デルベス:ベルナルド・ヴィラロボス/V

<映画.com>
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家族の中でただひとり耳の聞こえる少女の勇気が、家族やさまざまな問題を力に変えていく姿を描いたヒューマンドラマ。2014年製作のフランス映画「エール!」のリメイク。海の町でやさしい両親と兄と暮らす高校生のルビー。彼女は家族の中で1人だけ耳が聞こえる。幼い頃から家族の耳となったルビーは家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、合唱クラブに入部したルビーの歌の才能に気づいた顧問の先生は、都会の名門音楽大学の受験を強く勧めるが、 ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられずにいた。家業の方が大事だと大反対する両親に、ルビーは自分の夢よりも家族の助けを続けることを決意するが……。テレビシリーズ「ロック&キー」などで注目の集まるエミリア・ジョーンズがルビー役を演じ、「愛は静けさの中に」のオスカー女優マーリー・マトリンら、実際に聴覚障害のある俳優たちがルビーの家族を演じた。監督は「タルーラ 彼女たちの事情」のシアン・ヘダー。タイトルの「CODA(コーダ)」は、「Children of Deaf Adults=“耳の聴こえない両親に育てられた子ども”」のこと。2022年・第94回アカデミー賞で作品賞、助演男優賞(トロイ・コッツァー)、脚色賞の3部門にノミネートされ、同3部門を受賞。ルビーの父親フランク役を務めたトロイ・コッツァーは、男性のろう者の俳優で初のオスカー受賞者になった。
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マサチューセッツ州の港町で漁師をして暮らすロッシ家が、物語の舞台となる家庭。陽気な父フランクと美しい母ジャッキー、兄レオ、そして音楽好きの女子高生ルビーの4人家族である。フランクとレオ、そしてルビーは明け方から海に出て漁に勤しむ。慣れた手つきで大量の魚を引き上げていく父と兄、そしてそれを手伝うルビーは可憐な歌声で歌を歌う。

この家族が普通と変わっているのが、フランクもレオも母親のジャッキーも聾唖者。ルビーだけが家族の中で唯一の健聴者であること。いつも家族の耳となり、漁師の仕事や身の回りのことを一手にサポートしている。ルビーは漁を終えると学校に向かう。しかし、朝早くから漁をしたこともあって、授業中に居眠り(ほぼ爆睡に近い)したり、魚の匂いがついていたりして、同級生たちから奇異の目で見られてしまっている。

そんなルビーは、やはり女の子であり、心密かにマイルズという男子生徒に想いを寄せている。新学期を迎えたある日、部活動への申し込みに際し、マイルズがコーラス部へ入部申し込みをするのを見て、咄嗟にコーラス部への入部を決める。顧問のベルナルド・ヴィラロボス(通称V)先生はとても熱心に生徒を指導する。その最初の部活動の日、音程の確認のため、一人一人歌を歌わされるが、ルビーは逃げだしてしまう。

後で1人V先生の下に戻ったルビーは、聴覚障がい者の家族の中で育ったため、かつて「言葉がヘン」と言われた経験があり、人前で歌を歌うのが怖いと告白する。そんなルビーに対し、V先生は「上手い下手ではなく、声で何を伝えられるかが大事だ」と教える。それを機に、ルビーは伸び伸びと歌うことが出来るようになる。そしてV先生は、発表会に向けルビーにマイルズとデュエットを組むように伝える。

さらにV先生は、もっと2人で練習をしろと叱咤する。ルビーにしてみればマイルズと2人で練習できるのは願ったりの環境。やがてマイルズもボストンのバークリー音大へ進学を目指していることをルビーに話し、さらには一緒に行こうと勧める。一方、漁港では政府の介入で漁獲量の監視のため監視員を乗船させたり(しかも費用は漁船負担)する規制が強化され、魚の値も低下し、漁師たちの不満は限界を超えていく。そんな騒動の中、ルビーは父フランクと兄レオの通訳をするなどの手伝いに追われる・・・

タイトルの「CODA(コーダ)」とは、「Children of Deaf Adults=耳の聴こえない両親に育てられた子ども」ということらしい。家族の中で唯一ルビーだけが耳が聞こえる。健常者にはわかりにくいが、耳が聞こえないというのも大変なこと。何より周りの人との意思疎通が図れない。仲間に誘われてレオは飲みに行く。酔って騒ぐ仲間たちの間で、レオはただ1人孤独感を味わう。ルビーのいない漁船では、無線の呼び掛けがわからず、監視員に操業を停止させられてしまう。

当たり前のことが当たり前でないというのも大変なこと。発表会でルビーが舞台でマイルズと歌う。気分よくそれを聞いていると、カメラはフランクとジャッキーの姿を映し、次の瞬間、画面から音声が消える。その音声のない画像こそが、聾唖者の見ている世界なのである。改めて考えさせられるシーンがしばしば出てくる。そして家族の通訳を兼ねるルビーは、十分にレッスンに参加できないという苦悩も抱える。

出演者はみな巧みに手話を操る。演技で覚えたのか、実際に手話ができるのかなどと考えていたら、エンドクレジットで母親のジャッキーを演じていたのが、マーリー・マトリンだとわかる。マーリー・マトリンと言えば、かつて『愛は静けさの中に』で印象に強く残る聾唖美女。久しぶりにその姿を見たが、老いてもなお美しい姿に感激する。家族の手伝いと好きな歌の道に進みたいという相反する思いに葛藤するルビー。家族の中でもそんなルビーに対する思いは分かれる。

V先生や家族やルビーの互いを思う心に胸を打たれる。ラストのルビーの表情に心が温かくなる映画である・・・


評価:★★★☆☆








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2022年12月28日

【ランボー】My Cinema File 2634

ランボー.jpeg

原題: First Blood
1982年 アメリカ
監督: テッド・コッチェフ
出演: 
シルヴェスター・スタローン:ジョン・ランボー
リチャード・クレンナ:サミュエル・トラウトマン大佐
ブライアン・デネヒー:ウィル・ティーズル
ビル・マッキニー:デイヴ・カーン
ジャック・スターレット:アーサー・ギャルト
マイケル・タルボット:バルフォード
クリス・マルケイ:ウォード
ジョン・マクリアム:オーヴァル・ケラーマン
アルフ・ハンフリーズ:レスター
デヴィッド・カルーソ:ミッチ・ロジャース
デヴィッド・L・クローリー:シングルトン
ドン・マッケイ:プレストン
パトリック・スタック:クリント・モーガン中尉

<映画.com>
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ベトナムでグリーン・ベレーとして活躍した男が警察の嫌がらせに怒りを爆発させ、数百人の警官と死闘をくり広げる。製作はシルヴェスター・スタローンとバズ・フェイシャンズ。エグゼクティブ・プロデューサーはマリオ・カサールとアンドリュー・ヴァイナ、デイヴィッド・マレルの小説「たった一人の軍隊」(早川書房)をスタローンとマイケル・コゾル、,ウィリアム・サックハイムが共同で脚色、監督は「ノース・ダラス40」のテッド・コッチェフ、撮影はアンドリュー・ラズロ、音楽はジェリー・ゴールドスミスが担当。出演はシルヴェスター・スタローン、リチャード・クレナ、ブライアン・ドネイ、デイヴィッド・カルーソ、ジャック・スターレット、マイケル・タルボット、デイヴィッド・クロウリイほか。パナビジョンで撮影。
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『ロッキー』と並んでシルベスター・スタローンの代表作と言えるシリーズの原点。衝撃的な面白さだったのを今でも覚えている。

1981年12月。1人の男がワシントン州の山間を歩いているところから物語は始まる。男はベトナム帰還兵ジョン・J・ランボー。ようやく辿り着いたところはかつての戦友デルメア・ベリーの家。家族に写真を見せて自己紹介をするが、当のデルメアは前年の夏に既に亡くなったと聞き、ランボーはショックを受ける。さらにデルメアの母から死因はベトナム戦争の化学戦での後遺症で、がんを患ったと聞かされ、ランボーは言葉を失う。

デルメアの家を後にしたランボーは、歩いてホリデーランドという街にやってくる。そんなランボーに声を掛けたのは街の保安官ティーズル。親切にもランボーをパトカーに乗せるが、実は厄介ごとを避けるためによそ者である彼を街から追い出すためのもの。町外れまで来てランボーを降ろすと、街へとUターンする。高圧的でとんでもない保安官である。降ろされたランボーは、しかし再び足を街へと向ける。

そんなランボーを見たティーズルは、ランボーを逮捕する。罪状は浮浪罪と公務執行妨害。そして、ランボーがサバイバルナイフを持っているとわかると、これに凶器所持を加える。保安官事務所に連行すると、他の保安官とともにランボーに高圧的態度で望む。身体を洗うと称して消防用のホースで水をぶっかけるシーンは印象的である。そしてランボーは、時折フラッシュバックに襲われる。

それは、ベトナム戦争時代の捕虜の経験。身体中に刻まれた刀傷は、その時つけられたもの。保安官たちが警棒でランボーを羽交い絞めにして、シェーピングクリームをつけずに髭を剃ろうとして保安官の1人ウォードが剃刀を顔に近づけた瞬間、ランボーの脳裏にベトコンから受けた拷問の記憶が蘇る。錯乱したランボーは、留置所にいた保安官たちを片っ端から叩きのめすと、押収されていたサバイバルナイフを取りかえし、保安官事務所から逃走する。

そして通行人からバイクを奪い、街中をパトカーとカーチェイスを繰り広げ、最後は山中へと逃走する。この事態に、ティーズルは、ミッチやレスターらと共に警察犬を導入し、山中の捜索に取り掛かる。ここからランボーが驚異的な能力を発揮する。冬山にタンクトップ1枚の姿だったが、ナイフを使い、ボロ切れを纏って山中を移動する。しかし、渓谷の絶壁まで追い詰められると、ヘリからの銃撃を避け、眼下にある木に向かって飛び降りる。

ランボーを追う保安官たちは、やがてランボーが元グリーンベレーで勲章を受けた英雄だとわかる。しかし、知らずにヘリから銃撃しようとして、ヘリからガルトが転落死するに至り、ティーズルも引っ込みがつかなくなる。ランボーが木に落ちた時にできた腕の裂傷をサバイバルナイフの柄に仕込んだ針で自ら縫合するシーンも印象的である。そしてここからティーズルが呼び寄せた警官隊200人とランボーとの死闘が始まる。

ランボーは、ベトナム戦争で培ったゲリラ戦を山中で展開する。ランボーが仕込んだトラップで保安官たちが次々と倒れる。最後の1人となってしまったティーズルに、突如現れたランボーが喉元にサバイバルナイフを突きつけ、「調子に乗ると、もっと悲惨な戦いになるぞ」と脅すシーンも印象的である。それまでの戦争映画とはまったく毛色の違う映画であり、『ディア・ハンター』(My Cinema File 299)や『プラトーン』(My Cinema File 1439)といった負のイメージとは異なるベトナム戦争映画である。

山中で繰り広げられるランボーと州警察および州兵部隊の戦い。ランボーが展開するゲリラ戦の迫力。戦いはやがて街中にもおよび市街戦の様相を呈してくる。ランボーの上官サム・トラウトマン大佐が、「私は、別にランボーを助けに来たわけじゃない。皆さんを守りに来た」とさりげなく語る言葉も心地よく響く。その後のシリーズの展開で、ランボーの活躍もすっかり馴染みとなってしまったが、この第1作の強烈な印象は今もなお心に残っている。

さすがに何度も観ると観慣れてしまうが、若き日のシルベスター・スタローンの魅力はこの映画の中で健在である。個人的に記憶に深く残る映画である・・・


評価:★★★★☆








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2022年12月24日

【とんび】My Cinema File 2633

とんび.jpeg
 
2022年 日本
監督: 瀬々敬久
原作
重松清
出演: 
阿部寛:市川安男(ヤス)
北村匠海:市川旭(アキラ)
杏:由美
安田顕:照雲
大島優子:幸恵
濱田岳:広沢
宇梶剛士:尾藤社長
尾美としのり:萩本課長
吉岡睦雄:葛原
宇野祥平:トクさん
木竜麻生:泰子
井之脇海:健介
麻生久美子:市川美佐子
薬師丸ひろ子:たえ子

<映画.com>
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直木賞作家・重松清のベストセラー小説を、阿部寛と北村匠海の共演で実写映画化。「糸」『護られなかった者たちへ』の瀬々敬久監督がメガホンをとり、幾度途切れても必ずつながる親子の絆を描き出す。昭和37年、瀬戸内海に面した備後市。運送業者のヤスは愛妻の妊娠に嬉しさを隠しきれず、姉貴分のたえ子や幼なじみの照雲に茶化される日々を過ごしていた。幼い頃に両親と離別したヤスにとって、自分の家庭を築くことはこの上ない幸せだった。やがて息子のアキラが誕生し、周囲は「とんびが鷹を生んだ」と騒ぎ立てる。ところがそんな矢先、妻が事故で他界してしまい、父子2人の生活が始まる。親の愛を知らぬまま父になったヤスは仲間たちに支えられながら、不器用にも息子を愛し育て続ける。そしてある日、誰も語ろうとしない母の死の真相を知りたがるアキラに、ヤスは大きな嘘をつく。
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かつてドラマ化されたこともあることもある重松清の小説の映画化作品。なぜ今の時期に、という疑問が沸かなくもないが、心に残る原作本だっただけに迷わず観た次第。

時に昭和37年の広島県備後市。運送会社で働く市川安男が主人公。ヤスと呼ばれる市川安男は、根はいい男なのかもしれないが、不器用でかつ短気という性格である。そんなヤスにはしっかり者の妻、美佐子と生まれたばかりのアキラという息子がいる。アキラが生まれてからヤスは、真面目に仕事に精を出して働き、喜びに張り合いのある毎日を過ごしている。

ところが、不幸は突然やってくる。それはアキラを動物園に連れていく約束をしていた日のこと。あいにくの雨にぐずるアキラをヤスは職場に連れていく。そこで遊んでいたアキラは、荷物に触れてしまう。大量の荷物が崩れるところを咄嗟に美佐子がアキラに覆いかぶさる。アキラはなんとか助かるが、荷物の下敷きになった美佐子は帰らぬ人となる。2人を職場に連れてきたことを後悔しても後の祭り。その日から父1人子1人の生活が始まる。

といっても、不器用なヤスだけで子育てができるはずがない。幸いヤスには頼れる幼馴染や同僚、理解者がたくさんいる。行きつけの小料理屋『夕なぎ』の女将のたえ子、薬師院の住職の照雲、照雲の父親である海雲などである。そうした周囲の人々の助けを借りながら、ヤスは何とかアキラを育てていく。周囲の人々にも護られてアキラは優しく頭の良い少年に育つ。それはまさに「とんびが鷹を生んだ」という言葉そのものである。

タイトルにもある通り、これはとんびと鷹の親子のとんびの物語。そこから様々な物語が続く。成長したアキラは母親の死因を知りたがる。その理由をヤスはいつかアキラに話さなければと思うが、なかなか踏ん切りがつかない。しかし、他人から聞くよりもと、小学校卒業を間近にして、ヤスはアキラに母の事故のことを打ち明ける。自分を庇って死んだのだと。それはアキラがショックを受けることを考えて、自分を悪者にしたのである。

中学生になったアキラは野球部に入部する。2年生のとき、後輩にケツバットをして後輩の親から抗議を受ける。ヤスはアキラを叱るが、野球部の伝統だからとアキラは納得しない。自分も先輩からやられたからというアキラの言い分ももっともである。そしてヤスにはそんなアキラに教え諭せるほどの言葉を持ち合わせない。結局ヤスは拳をにぎり、アキラを殴ってしまう。愛情には溢れるが不器用さも人一倍である。

やがてアキラも高校生となり、高校は県内トップレベルの備後東高校に入学する。しかし、高校の次は大学となるが、レベルの高い大学となれば大阪や東京へとなり、必然的に家を出て1人暮らしをすることになる。そしてアキラはいつしか早稲田大学への進学を希望するようになる。頭では理解していても、どうしてもアキラが家を出ていく事を受け入れられないヤスは、しょっちゅうアキラに食って掛かるようになる・・・

1人のとんびの人生が、アキラという息子の生涯との関わりで描かれる。ヤスは裏表がない人間だが、人となりを理解できないと付き合いにくい人物だろう。単純かつ短気であるが、なれれば扱いやすい。アキラもしばしば父に反発し、喧嘩もするが父を理解してもいる。やがてアキラも社会人になり、東京の雑誌の出版社に就職する。さらに間を置かずに結婚相手を紹介される。その相手が、7歳年上でしかも子連れとあって、ヤスは絶句する。

子育てにはいろいろなドラマがある。それこそ誰でも一冊の本になるくらいあるだろう。重松清はそれを心の琴線に触れながら描いてゆく。主人公のヤスを演じるのは阿部寛。はっきり言って小説を読んで阿部寛のイメージはなかったが、ここでは見事に違和感なく受け入れられたのはさすが役者といえるのだろう。

『夕なぎ』のたえ子を演じるのは薬師丸ひろ子。今やすっかり「日本のお母さん」になったように思う。個人的には、アキラの連れてきた由美を受け入れられないヤスに対し、照雲が一芝居打つところが心に残ったシーンである。もう一度原作を読んでみようか。そんな気持ちにさせてくれる映画である・・・


評価:★★☆☆☆







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