2023年08月28日

【サムライ】My Cinema File 2739

サムライ.jpeg

原題: Le Samourai
1967年 フランス
監督: ジャン=ピエール・メルビル
出演: 
アラン・ドロン:ジェフ・コステロ
ナタリー・ドロン:ジャーヌ
フランソワ・ペリエ:主任警部
カティ・ロジェ:ヴァレリー
ミシェル・ボワロン:ヴィエネル

<映画.com>
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フレンチフィルムノワールの名匠ジャン=ピエール・メルビルがアラン・ドロンを主演に迎え、一匹狼の殺し屋の生きざまを描いた名作。中折れ帽とトレンチコートを身にまとう孤高の殺し屋ジェフは、コールガールの恋人ジャーヌにアリバイを頼み、仕事へ向かう。今回の標的であるナイトクラブの経営者を首尾よく暗殺するジャンだったが、現場を立ち去ろうとした際に女性歌手ヴァレリーに顔を見られてしまう。警察の一斉検挙によりジェフも連行されるが、ヴァレリーが面通しで嘘の証言をしたため釈放されることに。しかし刑事はジェフを疑い、彼に尾行をつける。共演に「カビリアの夜」のフランソワ・ペリエ、当時ドロンと婚姻関係にあったナタリー・ドロン。
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アラン・ドロンと言えば、かつて二枚目(今でいうイケメン)の代名詞であった。そんなアラン・ドロン主演のこれも流行ったハード・ボイルドの映画である。

冒頭、「サムライの孤独ほど深いものはない。さらに深い孤独があるとすれば、ジャングルに生きる虎のそれだけだ」という言葉が『武士道』からの引用として流れるが、どうもこの言葉は創作らしい。実際にはそういう言葉はないそうである。そういうのもアリの時代だったのだろう。主人公は、一匹狼の殺し屋ジェフ・コステロ。中折れ帽とトレンチコートといういかにもなスタイルで仕事に向かう。

まずは通りに止めてある車にさり気なく乗り込む。持っていた鍵束から次々を鍵を抜き出して差し込む。やがてエンジンがかかる。この時代、車のキーは何種類かに固定されていたようで、全種類のキーを手に入れれば簡単に車を盗めてしまえたようである。ジェフはそのまま車を協力者である自動車修理工に持ち込みナンバープレートを付け替えさせる。そして標的の情報と銃を受け取り仕事に向かう。

ターゲットは、とあるナイトクラブの支配人。指紋と硝煙反応を残さぬためか、白い手袋をはめ、さり気なく店に入り、難なく支配人室に入ると、銃でズドン。そのまま支配人室を出ると、なんとそこで専属ジャズバンドのピアニスト、ヴァレリーと鉢合わせしてしまう。殺し屋としては、「顔を見られた以上」となりそうだが、ジェフはヴァレリーを無視してナイトクラブを出ていく。

ジェフはなじみのコールガール・ジャーヌの下を訪れると、アリバイの口裏合わせを頼む。さらに使った車と手袋と銃をセーヌ川に捨て、闇ポーカーの賭場にも顔を出す。一方、通報を受けた警察は、ただちに犯人の捜索に乗り出す。怪しいと睨んだ人々を次々と連行するが、賭場にいたジェフもその対象となる。この時代の人権意識はよくわからないが、今だったらとてもやれないやり方であろう。

ジェフはアリバイを主張し、警察はジャーヌに確認に行く。それも令状もなくいきなり部屋に踏み込み、勝手に家宅捜査をするというこれも現代ではとても認められない手法。ジャーヌはジェフのアリバイを認める。さらに警察署で面通しを行ったヴァレリーは、なぜかジェフを犯人とは証言せず、結果的にジェフは釈放される。本来なら、ここで捜査は別のターゲットに向かいそうなものであるが、なぜか警部は部下たちにジェフに対する徹底的な尾行を命じる。たぶん、警部には天才的な刑事の勘があるのだろう。

一方、ジェフは巧みに警察の尾行をまき、報酬の受け取り場所へと向う。しかし、相手は報酬を手渡すどころか、逆にジェフを射殺しようとする。どうやら警察に連行されたのに何事もなく釈放されたため、疑われたようである。ジェフはさすが殺し屋であり、間一髪でこれを防いだが、腕を撃たれてしまう。なんとか部屋に戻り、傷の手当をするとともに今後の対応を考える。手当に使ったガーゼなどを丸めてまんと路上に捨てる。これも時代なのか。そしてそれをご丁寧に警察が拾い、ジェフが怪我をしていることがわかる。今こんなストーリーを作ったら、たぶん観る者のブーイングを浴びそうに思う。「56年前」の時代の映画として理解したい。

さらに警察は合鍵を使ってジェフの部屋に忍び込む。令状もなく、現代であれば違法捜査である。鍵も車と同様、鍵束から合う鍵を一つ一つ確かめるというもの。まだまだのどかな時代だったのだろう。そして盗聴器を仕掛けるが、小型のトランシーバーのようなものをカーテンの陰につけるというのどかなもの。帰ってきたジェフは、飼っているカナリアの様子から誰かが忍び込んだと気づき、盗聴器を発見する。賢いカナリアと飼い主の関係にとても真似できないものを感じる。

当時の人たちがこの映画をどう観たのかはわからない。ラストのジェフの行動も映画を観ていただけではわからない。この映画を観て「カッコいい」と思ったのだろうか(まぁ、アラン・ドロンはカッコいいかもしれない)。雇い主が裏切れば殺し屋としても放置はできない。それは理解できるが、ジェフの最後の行動は意味不明である。現代から観れば、違和感溢れるストーリー展開であるが、それも含めて古い映画と理解して観るなら意味はあるのだろう。ジャーヌを演じたのはアラン・ドロン夫人のナタリー・ドロン。美男美女の夫婦である。

あまり細かいことは気にせず、56年前はこんな映画が観られていたんだなと思いたい。56年の間の映画の進化を感じさせてくれる一作である・・・


評価:★★☆☆☆









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2023年08月27日

【かくも長き不在】My Cinema File 2738

かくも長き不在.jpeg

原題: Une aussi longue absence
1960年 フランス
監督: アンリ・コルピ
出演: 
アリダ・ヴァリ:テレーズ
ジョルジュ・ウィルソン:男
ジャック・アルダン:ピエール
シャルル・ブラヴェット:伯母
ディアナ・レププリエ:マルティーヌ

<映画.com>
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「雨のしのび逢い(1960)」のコンビ、マルグリット・デュラス、ジェラール・ジャルロのシナリオをアンリ・コルピが演出したロマンチック・ドラマ。撮影は「OSSと呼ばれる男」のマルセル・ウェイス、音楽はジョルジュ・ドルリューが担当した。出演は「顔のない眼」のアリダ・ヴァリ、「めんどりの肉」のジョルジュ・ウィルソン、ほかにジャック・アルダン、ディアナ・レプヴリエ、カトリーヌ・フォントネーなど。なお、六一年度ルイ・デリュック賞、同年カンヌ映画祭グランプリを受賞している。黒白・ディアリスコープ。
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時折、古い映画を楽しんでいるが、これは63年前の名前の知られたフランス映画。時は1960年7月14日のパリ祭の日。主人公のテレーズは、下町でカフェ「アルベール・ラングロワの店」を切り盛りしている。客はほとんどが常連客で顔なじみ。マルティーヌという娘を雇い、店は常連客のたまり場となっている。常連客の1人ピエールは恋人でトラック運転手。店の2階にある寝室で2人はバカンスの話をする。テレーズは故郷のショーリュへ帰るつもりだと答えるが、ピエールが一緒に行こうと誘ってもテレーズはどこか浮かない顔である。

翌日、テレーズはいつものように店を開けるが、近隣の人々はバカンスで次々とパリを離れていく。通りは閑散とし、客も少ない。そこへ、薄汚れたホームレスの男が通りかかる。このところよく姿をみせるが、粗末な格好をしていつも歌を口ずさんでいる。その男を見てテレーズの顔色が変わる。そして翌日、テレーズはマルティーヌにその男を店に連れてきてもらう。マルティーヌはテレーズに指示された通り、男にビールを勧め、その様子をテレーズは影で見ている。マルティーヌが何を聞いても、男は曖昧にしか答えない。そして申し訳なさそうに、記憶喪失なので自分のことがわからないのだと打ち明ける。

店の裏でその様子を見ていたテレーズは、ショックのあまり倒れてしまう。心配したマルティーヌがカウンターを離れた隙に、男は姿を消す。正気を取り戻したテレーズは、すぐに男のあとを追いかけていく。そしてテレーズは1日中セーヌ河岸を歩き、男が住んでいる小屋を発見する。テレーズはそのまま夜を明かし、翌朝起き出してきた男の様子を見守る。男はテレーズに気づいても、何かを話すでもない。そして大事そうに紐で縛った木箱を取り出し、丁寧に紐を解き始める。そこで初めてテレーズは男に声をかける。

男はテレーズの問いかけには答えず、拾ってきた雑誌から写真を切り抜いていく。テレーズは「手伝わせて」と頼んでみるが、男は何も答えない。やがて作業を終えた男は手提げカバンを持ち、どこかへ出かけていく。テレーズは少し距離を置いて、男の後ろをついていく。男は歩きながら、いつものように歌を口ずさむ。それは「セビリアの理髪師」というオペラの中の「陰口はそよ風のように」という歌。男はゴミ捨て場で古紙や古布を拾い、雑誌は手提げカバンにしまう。どうやら男は古紙や古布を売って生計を立て、拾った雑誌から切り抜いた写真や絵を集めるのが趣味のようである。テレーズはそれをずっと観察する。

翌日、テレーズは店のジュークボックスに「セビリアの理髪師」のレコードを入れてもらい、男が口ずさんでいた曲をかける。テレーズのもくろみ通り、店の前を通りかかった男は、音楽に誘われて店内に入ってくる。テレーズは男にビールを勧め、集めておいた雑誌を渡す。店内には、テレーズが事前に呼んでおいた老婦人と青年がいて、男の顔をじっと見つめている。どうやらテレーズは男を行方不明の夫アルベールだと思ったようである。

実は16年前の1944年の6月に、テレーズの夫のアルベールは故郷のショーリュでゲシュタポに逮捕され、収容所へ送られて以来、消息不明となっている。すぐに夫だと確信できなかったのは、容姿が変わっていたからなのだろう。老婦人と青年はそれぞれアルベールの叔母と甥で、2人を呼んだのは、テレーズにも男がアルベールかどうか見分けがつかなかったからなのだろう。テレーズは、夫のアルベールだと確信するが、叔母と青年は否定する。アルベールはオペラにも興味がなかったという。

テレーズは、男をアルベールだと確信して行動するが、周囲は冷ややか。テレーズは、さらに男を食事に誘い、行動はエスカレートする。何とか記憶を取り戻させようと躍起になるが、男に記憶が戻る気配はない。『ひまわり』では、終戦から日が浅く、記憶喪失などということもなかったから、戦場で行方不明になった夫も家で待つ妻も自分の行動を理解していたし、相手の顔もわかっていたが、この映画では『かくも長き不在』の間に夫であるかどうかもはっきりしない。ただテレーズ1人がそう信じているだけである。

男の後頭部にはなにやら手術痕があり、ゲシュタポに逮捕されたという経歴を聞けば記憶喪失の原因は何やらきな臭いものがあるように思う。ただ、そのあたりは深く触れられない。時に終戦から15年。いたるところに戦争の傷跡が生々しく残っている時代。似たような悲劇はあったのだろうと思う。記憶が簡単に戻ることもなく、はたして本当に男アルベールなのかはわからない。そう信じたいテレーズと困惑する男。2人で食事するシーン(と言ってもテレーズはなぜか食べない)は幸せ感が満ちている。

当時の人たちはどんな気持ちでこの映画を見たのだろうか。たぶん、現代の我々よりもずっと親近感を持って見たのではないかと思う。そうした親近感が、名画の評判となったのかもしれないと思う映画である・・・


評価:★★☆☆☆










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2023年08月26日

【少年の君】My Cinema File 2737

少年の君.jpeg

原題: 少年的你/Better Days
2019年 中国・香港
監督: デレク・ツァン
出演: 
チョウ・ドンユイ:チェン・ニェン
イー・ヤンチェンシー:シャオベイ
イン・ファン:チェン・イー
ホアン・ジュエ:ラオヤン
ウー・ユエ:ジョウ・レイ
チョウ・イエ:ウェイ・ライ
チャン・ヤオ:リー・シアン
チャン・イーファン:フー・シャオディエ
趙潤南:ダーカン

<映画.com>
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『七月と安生』など監督としても高く評価される香港出身の俳優デレク・ツァンがメガホンをとった青春映画。進学校に通う高校3年生の少女チェン・ニェンは、大学入試を控え殺伐とした校内で、ひたすら参考書に向かい息を潜めて日々をやり過ごしていた。しかし、同級生がいじめを苦に飛び降り自殺を遂げ、チェン・ニェンが新たないじめの標的になってしまう。彼女の学費のため犯罪まがいの商売をしている母親以外に身寄りはなく、頼る人もいない。そんなある日、下校途中の彼女は集団暴行を受けている少年を目撃し、その少年シャオベイをとっさに救う。優等生と不良という対極的な存在でありながらも、それぞれ孤独を抱える2人は次第に心を通わせていく。『サンザシの樹の下で』のチョウ・ドンユィがチェン・ニェン、アイドルグループ「TFBOYS」のイー・ヤンチェンシーがシャオベイを演じた。第39回香港電影金像奨で作品賞、監督賞、主演女優賞など8部門を受賞。第93回アカデミー賞で国際長編映画賞にノミネート。
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冒頭、とある中国の学校の教室で英語の授業が行われている。教えているのは、主人公のチェン・ニェン。しかし、クラスに1人だけ下を向いて座っている少女がいる。何かあったのかもしれない。授業を続けるニェンは、その様子に気づく。そして物語はニェンの高校時代へと遡る。ニェンは、全国統一入学試験(通称:高考)の受験を控えた受験生。母娘の2人暮らしであるが、生活は貧しく母は詐欺まがいの商品の販売に手を出し、また借金を抱えて借金取りに追われる日々を送っている。それでも母はニェンが一流大学に入ることを望んでいる。

そんなある日、ニェンの同級生フーが校舎から飛び降り自殺する。フーはかねてから、同級生のウェイ・ライをリーダーとする三人組によるいじめを受けており、それを苦にしての自殺であった。ショックを受けたニェンは、慌てて遺体に駆け寄ると、自分の上着を被せる。やがて警察が駆け付け、捜査を始める。警察に呼ばれて事情を訊かれるニェンだが、はっきりと話すことなく口をつぐむ。

その日から、ウェイ一味のいじめのターゲットはニェンに代わる。クラスの担任は一応注意をするが効果はなく、ニェンは毎日のように執拗な嫌がらせを受け続ける。母が借金取りに追われているのは近所でも知れ渡っており、それもいじめの格好の口実になる。そんなある日、ニェンは帰り道で不良たちが1人の男を袋叩きにしている現場を通りかかる。ニェンは警察に通報しようとするが、男たちに捕まってしまう。そして袋叩きにされていた男シャオベイと無理やりキスさせられる。シャオベイは隙を突いて反撃し、その場は事なきを得る。

シャオベイはニェンを家まで送る。そこで借金取りから逃げるニェンの母親を中傷する張り紙を見てニェンの家庭環境を察する。ウェイたちのいじめは日に日にエスカレートしていく。他の同級生は黙って見て見ぬふりをするだけ。それでも「あと1ヶ月頑張れば北京の大学に行ける」と慰める子もいる。そしてニェンは思い切って地元警察のチェン・イー刑事にウェイたちがフ一をいじめていたことを告発する・・・

いじめは我が国でも問題になっているが、どこの国にもあるようで、これは人間の本性に絡むものなのかもしれない。この物語では、過酷な生活環境にあるニェンがいじめのターゲットになってしまう。背景には受験があり、ニェンたちは北京大学、精華大学といった一流大学への進学を目指して日々猛勉強しているが、そこにいじめ問題が影をさす。警察に通報し、ウェイたちは停学処分となるが、それでよけいに恨みを買う。カッターナイフを手に待ち伏せされた二ェンは、シャオベイのところに逃げ込み、ボディガードになってくれるよう頼む。

翌日からニェンの護衛を引き受けたシャオベイは、毎日ニェンを遠巻きに付き添う。ニェンは母親が借金取りから逃げて家にいないため、いつしかシャオベイと一緒に過ごすようになる。奇妙な関係の2人。シャオベイもまた天涯孤独の身で、ともに不幸な環境の2人が寄り添って生きる様は見る者の心を打つ。絆を深めた2人は、ニェンが北京の大学に受かったら一緒に北京で暮らそうと言うほどになる。そのまま受験を迎えられれば、小さな幸せが待っていたかもしれない。しかし、そこに執念深いウェイが立ちはだかる・・・

主人公のニェンを演じるのは、『サンザシの樹の下で』のチョウ・ドンユィ。年齢がよくわからない幼顔の美人。高校生の役でも違和感がなく、冒頭は教師になった後の姿だが、それも違和感がない。中国のドラマも最近は一昔前の時代設定よりも現代のものが目立つようになってきている。香港を吸収し、もはや映画の世界でも大国なのだろう。都会の片隅で、不幸な環境の中でひっそりと生きる2人の姿は、2人の幸せを願わずにはいられない。

それにしてもなぜ人間はいじめなどということを行わずにはいられないのだろうか。みんながもっと互いを尊重しあえば、誰もが生きやすい世の中になると思うのだが、まだまだ人類はそこまで成長できないものなのだろうか。そんな思いを抱きつつ、ラストに至る予想外の展開に驚かされる。エンドロールで流れるテロップでは実話のような感じもする。濃厚な後味の映画である・・・


評価:★★☆☆☆








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2023年08月25日

【サンザシの樹の下で】My Cinema File 2736

サンザシの樹の下で.jpeg

原題: 山楂樹之恋(Under the Hawthorn Tree)
2010年 中国
監督: チャン・イーモウ
出演: 
チョウ・ドンユイ:ジンチュウ
ショーン・ドウ:スン
シー・メイチュアン:ジンチュウの母
リー・シュエチェン:村長

<映画.com>
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都会育ちの女子高生ジンチュウは、文化大革命の再教育のために送られた農村で青年スンに出会う。ジンチュウは、エリートでありながらも明るく誠実なスンに恋心を抱き、やがて2人はひかれあうが、身分違いの2人の愛には過酷な試練が待ち受けていた。文化大革命下の中国を舞台に、「初恋のきた道」のチャン・イーモウ監督が描く純愛ストーリー。主演はイーモウ監督が新たに見出した新鋭チョウ・ドンユィ。
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時は1970年代初めの文化大革命の頃の中国。主人公のジンチュウは、都市に住む高校生。毛沢東の考えで始まった高校生の農村学習の一員としてシーピン村に赴く。それぞれが各農家に寝泊まりし、農村生活を体験するというものらしい。バスを下りた一行は、村長の出迎えを受けて村まで歩く。道中、ひと際目立つサンザシの樹のところで、引率の教師がエピソードを語る。抗日戦争の時代、日本の侵略者に殺された兵士の血により赤い花が咲くというものである。

ジンチュウが滞在することになったのは村長の家。いかにも朴訥とした家族で、ジンチュウも 温かく迎えられる。村長の家には、地質調査隊のスンも同じように滞在していた。スンは共産党員の幹部を父に持つ朗らかな青年。一方、ジンチュウの父は右派分子として投獄されており、教師の母も学校で肩身の狭い思いをしている。世間の目は厳しく、将来教職に就くことを目標としているジンチュウは、人一倍努力しなければならないと母、兄弟ともども人一倍気を使って生活している。

文化大革命当時の様子は何となく伝わってきているが、何をきっかけにつるし上げられるかわからず、特に父親が収監されているジンチュウの家族には、ピリピリした空気がある。そんなジンチュウに対し、好意を抱いたスンは何くれとなく気をかける。それは食べ物であったり、 壊れた万年筆に代わる新しい万年筆だったり。そしていつしかジンチュウもそんなスンに好意を抱くが、農村学習終了間際、スンに婚約者がいるという噂を聞いたジンチュウは、スンを拒絶したまま町に帰る。

ジンチュウは苦しい家計を支えるために、夏休みも労働に励む。そんなジンチュウを村長の娘が訪ねてくる。スンにお金を託されており、そこでスンに婚約者がいるという話は誤解だとわかるが、ジンチュウは素直にスンの好意を受け取れない。それはお互いの立場の違いもあるかもしれない。体操服を買えず、ただ一人だけ私服で体育の授業に臨むジンチュウ。その姿には胸が熱くなるものがある。そしてそれを陰で見ていたスンは、今度は村長の息子に体操服代を託す。

この時代の中国は、まだまだ貧しい。そんな中での純愛物語。人を好きになることは誰にも、本人でさえも止められない。世間に対してはひたすら目立たぬように暮らさなければならないジンチュウだが、共産党幹部の息子という立場にあるスンは、自由に行動できる。それゆえ、ジンチュウを見守ることができる。卒業しても試験採用期間中は正式に採用してもらうため、ジンチュウは夏休みもコートの整備工事に励む。素足でセメントをかき混ぜるのでジンチュウの足はひどくただれて化膿してしまう。病院へ行くことを拒むジンチュウに対し、自らの腕をナイフで切りつけ、ジンチュウが病院へ行かないなら自分も行かないと主張する。

当時の中国人がみな純愛だったかというとそうではなく、ジンチュウの友人が妊娠して捨てられるというエピソードも紹介される。ジンチュウはスンと一夜を共にするが、服の上からちょっと触る程度。それでも妊娠するかと心配するジンチュウ。ウブな様子は母親がしっかりしているからかもしれない。お互いに見つめ合っているだけで満足というような恋愛感情は、もうだいぶ昔に忘れてしまったように思う。

詳しくは触れられないが、ラストでシーピン村はダムの建設によって水没し、サンザシの木も今は水の中と説明される。どうやら実話なのかと思われる。忘れかけていた懐かしい純愛の姿を思い出させてくれる、ちょっと切ない中国の恋愛ドラマである・・・


評価:★★☆☆☆







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2023年08月23日

【ひまわり】My Cinema File 2735

ひまわり1.jpeg原題: I girasoli
1970年 イタリア
監督: ビットリオ・デ・シーカ
出演: 
ソフィア・ローレン:ジョバンナ
マルチェロ・マストロヤンニ:アントニオ
リュドミラ・サベリーエワ:マーシャ
アンナ・カレナ:アントニオの母

<映画.com>
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ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニというイタリアの2大スターを主演に迎え、戦争によって引き裂かれた男女の愛を描いたドラマ。
結婚して幸せな日々を送っていたジョバンナとアントニオだったが、第2次世界大戦が勃発し、アントニオはソ連の最前線に送られてしまう。終戦後、帰らない夫を探しにソ連を訪れたジョバンナは、命を救ってくれたロシア人女性との間に家庭を築いていたアントニオと再会する。逃げるようにイタリアに戻ったジョバンナだったが、数年後、もう一度やり直したいとアントニオが訪ねてくる。
「ミラノの奇蹟」(1951)、「悲しみの青春」(71)などで知られ、74年に他界したイタリアの名匠ビットリオ・デ・シーカの晩年の名作。2011年にニュープリントでリバイバル公開。2020年、製作50周年を記念したHDレストア版でリバイバル公開。2023年には新たに修復を加えたデジタルリマスター版を字幕版&日本語吹き替え版で公開。
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機を見て過去の名作を観るようにしている。これもソフィア・ローレン主演ということで、名前だけは知っていた名画。

物語は第二次大戦中のイタリアで始まる。ジョバンナとアントニオはナポリの海岸で互いの愛を確認し、結婚の約束をする。時にイタリアは枢軸国として第二次世界大戦を戦っている最中。アントニオも出征を控えている。しかし、結婚するとなれば12日間の休暇を取ることができるため、2人は急遽結婚式を挙げる。アントニオの母親は結婚に反対なのか式には出席せず。そして2人は12日間の甘い新婚休暇に入る。

しかし、休暇はあっという間に過ぎてしまう。別れ難い2人は一計を案じ、アントニオが街中で錯乱し、精神状態の異常を装う。ところがこれがあっさり露見してしまう。精神病院に見舞いに訪れたジョバンナだが、アントニオと2人きりになったところで思いっきり抱き合う。それを病院スタッフがこっそり観察していたというもので、実にお粗末である。そしてアントニオは、ロシア戦線へと送られる。

やがて戦争が終わる。ジョバンナはひたすらアントニオの帰りを待っているが、政府担当者からは「行方不明」との報告を受ける。「行方不明とはどういうことか、アントニオは生きているのか」と猛烈な勢いで担当者に詰め寄るジョバンナだが、担当者もそれ以上は答えようがない。気も狂わんばかりに周囲に当たり散らすジョバンナ。イタリア女性の愛情の現れなのか気性の激しさなのか。担当者に同情するばかりである。

ジョバンナは毎日のようにアントニオの母親とともに駅に出向いては帰還兵にアントニオの写真を見せて消息を訪ねる。藁をもすがるような思いなのだろう。そしてある日、とうとうロシア戦線でアントニオと一緒だったという1人の兵士に出会う。しかし、雪中の後退の混乱の中、アントニオは雪の中で倒れて動けなくなり、やむなく置いてきたというもの。誰もが自分が生き残ることだけで精一杯の状況であり、男を責めることはできない。諦めきれないジョバンナは、意を決してひとりソ連の地へ向かう。

異国の地で、ジョバンナは写真を手にアントニオの消息を尋ねてまわる。大使館の人間が手助けしてくれるが、手がかりはない。戦没者が眠るという広大な墓地の様子は圧巻である。そして車窓に広がるひまわり畑。映画の冒頭でもこのひまわり畑のシーンが映される。タイトルにもなっているが、平和を象徴するシーンのようで何とも言えない。そんなジョバンナの執念は、ある工場から出てきた労働者の一群からイタリア人を見分けるほど。そしてとうとう、写真を見た人からイタリア人が住んでいるという家を教えられる・・・

第二次世界大戦では、イタリアは当初枢軸国として参戦し、のちに降伏してムッソリーニ政権が倒れると、連合国側としてドイツに宣戦布告するという極めて特殊な立ち位置を取った国。そこにどんなドラマがあったのかはいろいろだろうと思う。この映画では、ロシア戦線で行方不明になった夫を主人公が探し求めるというもの。帰らぬ夫を探して執念でソ連まで訪れるジョバンナはとうとうアントニオを見つけ出すが、彼はそこで新しい家庭を築いている。何とも言えぬ展開。

しかし、それはアントニオがイタリア人らしい浮気男だったからではなく、雪の中で行き倒れたところを助けられたという経緯があり、映画では描かれていないが、その後のやむにやまれぬ事情があったのだろう。世の中にはそうしたやむにやまれぬ事情というものは多い。ソ連の女性にもまたドラマがあったのかもしれない。この映画が名画として残っているのもよくわかる気がする。切ないドラマは、当時の人の心を打ったのかもしれない。

個人的にストーリーはいいものの、主演のソフィア・ローレンがなぜ大女優として名声を得たのかはあまりよくわからない。(個人の意見もあるだろうが)それほど美人というほどでもない。この映画で唯一、共感度が低かったのは主演女優だろうか。有名な映画だけに、一度は観ておくのも悪くはない一作である・・・


評価:★★☆☆☆












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