
原題: Le Samourai
1967年 フランス
監督: ジャン=ピエール・メルビル
出演:
アラン・ドロン:ジェフ・コステロ
ナタリー・ドロン:ジャーヌ
フランソワ・ペリエ:主任警部
カティ・ロジェ:ヴァレリー
ミシェル・ボワロン:ヴィエネル
<映画.com>
********************************************************************************************************
フレンチフィルムノワールの名匠ジャン=ピエール・メルビルがアラン・ドロンを主演に迎え、一匹狼の殺し屋の生きざまを描いた名作。中折れ帽とトレンチコートを身にまとう孤高の殺し屋ジェフは、コールガールの恋人ジャーヌにアリバイを頼み、仕事へ向かう。今回の標的であるナイトクラブの経営者を首尾よく暗殺するジャンだったが、現場を立ち去ろうとした際に女性歌手ヴァレリーに顔を見られてしまう。警察の一斉検挙によりジェフも連行されるが、ヴァレリーが面通しで嘘の証言をしたため釈放されることに。しかし刑事はジェフを疑い、彼に尾行をつける。共演に「カビリアの夜」のフランソワ・ペリエ、当時ドロンと婚姻関係にあったナタリー・ドロン。
********************************************************************************************************
アラン・ドロンと言えば、かつて二枚目(今でいうイケメン)の代名詞であった。そんなアラン・ドロン主演のこれも流行ったハード・ボイルドの映画である。
冒頭、「サムライの孤独ほど深いものはない。さらに深い孤独があるとすれば、ジャングルに生きる虎のそれだけだ」という言葉が『武士道』からの引用として流れるが、どうもこの言葉は創作らしい。実際にはそういう言葉はないそうである。そういうのもアリの時代だったのだろう。主人公は、一匹狼の殺し屋ジェフ・コステロ。中折れ帽とトレンチコートといういかにもなスタイルで仕事に向かう。
まずは通りに止めてある車にさり気なく乗り込む。持っていた鍵束から次々を鍵を抜き出して差し込む。やがてエンジンがかかる。この時代、車のキーは何種類かに固定されていたようで、全種類のキーを手に入れれば簡単に車を盗めてしまえたようである。ジェフはそのまま車を協力者である自動車修理工に持ち込みナンバープレートを付け替えさせる。そして標的の情報と銃を受け取り仕事に向かう。
ターゲットは、とあるナイトクラブの支配人。指紋と硝煙反応を残さぬためか、白い手袋をはめ、さり気なく店に入り、難なく支配人室に入ると、銃でズドン。そのまま支配人室を出ると、なんとそこで専属ジャズバンドのピアニスト、ヴァレリーと鉢合わせしてしまう。殺し屋としては、「顔を見られた以上」となりそうだが、ジェフはヴァレリーを無視してナイトクラブを出ていく。
ジェフはなじみのコールガール・ジャーヌの下を訪れると、アリバイの口裏合わせを頼む。さらに使った車と手袋と銃をセーヌ川に捨て、闇ポーカーの賭場にも顔を出す。一方、通報を受けた警察は、ただちに犯人の捜索に乗り出す。怪しいと睨んだ人々を次々と連行するが、賭場にいたジェフもその対象となる。この時代の人権意識はよくわからないが、今だったらとてもやれないやり方であろう。
ジェフはアリバイを主張し、警察はジャーヌに確認に行く。それも令状もなくいきなり部屋に踏み込み、勝手に家宅捜査をするというこれも現代ではとても認められない手法。ジャーヌはジェフのアリバイを認める。さらに警察署で面通しを行ったヴァレリーは、なぜかジェフを犯人とは証言せず、結果的にジェフは釈放される。本来なら、ここで捜査は別のターゲットに向かいそうなものであるが、なぜか警部は部下たちにジェフに対する徹底的な尾行を命じる。たぶん、警部には天才的な刑事の勘があるのだろう。
一方、ジェフは巧みに警察の尾行をまき、報酬の受け取り場所へと向う。しかし、相手は報酬を手渡すどころか、逆にジェフを射殺しようとする。どうやら警察に連行されたのに何事もなく釈放されたため、疑われたようである。ジェフはさすが殺し屋であり、間一髪でこれを防いだが、腕を撃たれてしまう。なんとか部屋に戻り、傷の手当をするとともに今後の対応を考える。手当に使ったガーゼなどを丸めてまんと路上に捨てる。これも時代なのか。そしてそれをご丁寧に警察が拾い、ジェフが怪我をしていることがわかる。今こんなストーリーを作ったら、たぶん観る者のブーイングを浴びそうに思う。「56年前」の時代の映画として理解したい。
さらに警察は合鍵を使ってジェフの部屋に忍び込む。令状もなく、現代であれば違法捜査である。鍵も車と同様、鍵束から合う鍵を一つ一つ確かめるというもの。まだまだのどかな時代だったのだろう。そして盗聴器を仕掛けるが、小型のトランシーバーのようなものをカーテンの陰につけるというのどかなもの。帰ってきたジェフは、飼っているカナリアの様子から誰かが忍び込んだと気づき、盗聴器を発見する。賢いカナリアと飼い主の関係にとても真似できないものを感じる。
当時の人たちがこの映画をどう観たのかはわからない。ラストのジェフの行動も映画を観ていただけではわからない。この映画を観て「カッコいい」と思ったのだろうか(まぁ、アラン・ドロンはカッコいいかもしれない)。雇い主が裏切れば殺し屋としても放置はできない。それは理解できるが、ジェフの最後の行動は意味不明である。現代から観れば、違和感溢れるストーリー展開であるが、それも含めて古い映画と理解して観るなら意味はあるのだろう。ジャーヌを演じたのはアラン・ドロン夫人のナタリー・ドロン。美男美女の夫婦である。
あまり細かいことは気にせず、56年前はこんな映画が観られていたんだなと思いたい。56年の間の映画の進化を感じさせてくれる一作である・・・
評価:★★☆☆☆