2024年07月31日

【ラストナイト・イン・ソーホー】My Cinema File 2884

ラストナイト・イン・ソーホー.jpg

原題: Last Night in Soho
2021年 イギリス
監督: エドガー・ライト
出演: 
トーマシン・マッケンジー:エロイーズ
アニヤ・テイラー=ジョイ:サンディ
マット・スミス:ジャック
ダイアナ・リグ:ミス・コリンズ
シノーブ・カールセン:ジョカスタ
マイケル・アジャオ:ジョン
テレンス・スタンプ:銀髪の男

<シネマトゥデイ>
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ロンドンで別々の時代を生きる二人の女性の人生がシンクロするサイコスリラー。現代と1960年代のロンドンで暮らす女性たちが、夢を通して互いに共鳴し合う。監督と脚本を手掛けるのは『ベイビー・ドライバー』などのエドガー・ライト。『オールド』などのトーマシン・マッケンジー、ドラマ「クイーンズ・ギャンビット」などのアニャ・テイラー=ジョイ、ドラマシリーズ「ドクター・フー」などのマット・スミス、『コレクター』などのテレンス・スタンプらが出演する。
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主人公のエロイーズ(エリー)は、母を亡くしてから祖母と二人暮らし。そんなエリーの夢はファッションデザイナーであり、その日、エリーの下にロンドンのデザイナー学校から合格通知が届く。祖母と喜びを分かち合うエリーには、亡き母の姿が見える。どうやらエリーには霊感があるようである。田舎町を出てロンドンに行くエリーは、荷造りをしながらも希望に溢れる。そんな孫を応援しつつも心配する祖母は、どこか寂しそうでもある。

ロンドンに着いてタクシーで学生寮に向かうも、セクハラまがいの運転手の言動に都会の洗礼を浴びる。学生寮のルームメイトのジョカスタは、田舎者のエリーをどこか見下している。勉強よりも遊びに力をいれる友達と馴染むことができないエリーは、掲示板で貸し部屋についての広告を見つける。それはソーホーにある一人暮らしの高齢女性の家の一室で、レトロなその部屋をエリーは気に入り、寮を出てこの部屋で暮らすことに決める。

引越しをして最初の夜、シラ・ブラックのレコードをかけて眠りに落ちたエリーは、不思議な夢を見る。夢の中でとある建物に入り、鏡を見ると、写っているのは自分ではなく、見覚えのないブロンドの美女。彼女はサンディといい、歌手を目指してこの店に売り込みに来たのである。オーナーに会いたいというサンディに対し、バーテンダーは「ジャックと話しをしろ」とアドバイスをする。

エリーはサンディの体験を擬似体験する。ジャックはこの界隈で、スターを目指す女性を束ねている人物で、サンディはジャックと交渉して、自らのデビューを約束させ、次の日に会う約束をする。ジャックがサンディの首筋にキスをするが、夢はそこで終わる。リアルな夢に囚われるエリーは、授業に出席した自分の首筋にキスマークがあることに気づく。

次の夜もサンディの夢を見るエリー。それはジャックと恋愛関係に入っていくサンディの体験。魅惑的なサンディと一体感を得たエリーは、髪をサンディのようにブロンドに染め、夢の中でサンディが身にまとっていたドレスを思い出してデザイン案に取り入れる。その変化の様子に周りも驚く。その夜、エリーはサンディの初舞台の夢を見るが、初舞台は大勢のバックダンサーのうちの1人。ステージ衣装も露出度の多い男性客向けのものであり、楽屋へ戻ったサンディに、ジャックは男の客の相手をしろと強要する・・・

どうやらサンディは、1960年代の実在の人物だったとわかってくる。奇しくもエリーと同じ部屋で暮らしており、霊感の強いエリーがサンディの体験を毎夜擬似体験していく。それは華やかな歌手としてのものではなく、スターになれるという甘言で売春婦として扱われるもの。それを擬似体験することでエリーの心も疲弊していく。夢だからまだしも、現実の生活ではバイト先のバーでエリーは怪しい老人に声をかけられる。老人はなぜかサンディを知っているかのような発言をする。

怪しげな展開を深めていくストーリー。同じ部屋に住んでいた過去の人の体験を擬似体験するという内容は、『双葉荘の友人』(My Cinema File 2752)と似たような展開である。そして過去である以上、サンディはその後どうなって今はどうしているのかという疑問へと繋がる。それが後半へと繋がるのであるが、その意外な展開はこの映画のストーリーの妙である。やがて現実の生活でエリーは亡霊たちに付きまとわれるようになる。そして明らかになる真実。

ホラー映画と言えばホラー映画なのであるが、ホラー映画とも言い切れない。エリーに霊感がなければ1960年代に起こったこの事件は誰にも知られる事なく、終わったのかもしれない。そう考えれば不思議な感じであるが、それをまたうまくブレンドしたストーリーの勝利かもしれない。それにしても穏やかな顔のトーマシン・マッケンジーと狐顔のアニャ・テイラー=ジョイとが実に対照的な印象であった映画である・・・


評価:★★★☆☆








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2024年07月27日

【パレード】My Cinema File 2883

パレード.jpg
 
2024年 日本
監督: 藤井道人
出演: 
長澤まさみ:美奈子
坂口健太郎:アキラ
横浜流星:勝利
森七菜:ナナ
黒島結菜:大城麻衣子
中島歩:佐々木博
若林拓也:古賀充
北村有起哉:神田
深川麻衣:みずき

<シネマトゥデイ>
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この世から旅立った人々の視線で、残された者たちへの思いをつづるヒューマンドラマ。ある女性が、はぐれてしまった一人息子を捜すうちにさまざまな人々と出会い、自分がすでに死んでいることを知る。監督などを務めるのは『最後まで行く』などの藤井道人。『MOTHER マザー』などの長澤まさみ、『サイド バイ サイド 隣にいる人』などの坂口健太郎、『ヴィレッジ』などの横浜流星のほか、黒島結菜、田中哲司、寺島しのぶ、リリー・フランキーらがキャストに名を連ねる。
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東日本大震災と思われる津波に襲われ、波打ち際に倒れていた美奈子が眼を覚ます。周りは瓦礫の山で、1人息子の良の名を呼びながら美奈子はあてどなくさまよう。救助隊が慌ただしく作業をしているが、美奈子が話しかけても誰も返事をしない。避難所となっている体育館に行き着いたところ、知り合いを見つけて話しかける。しかし、答えてはくれず、美奈子が触ろうとしても触れない。美奈子は、途方に暮れてしまう・・・

そこに、ある男が車で通りかかり、美奈子に「危ないですよ」と声を掛ける。それまで誰からも相手にされなかった美奈子は、慌ててその男の元に駆け寄って、なぜか周りの人が話してくれない、触れる事も出来ないと話す。男は「僕らの所へ行きましょう」と言って、美奈子を車に乗せる。着いた場所は、遊園地のような場所。そこには数人の男女がいてくつろいでいる。たじろぐ美奈子に、その場にいた男は、自分たちはすでに死んでおりやり残した事があって先には行けていないと教える。

話によると、全国各地にこのような場所があって、死んで現世に未練がある人たちが集まっているという。そこにいるのは、小説家のアキラ、ヤクザの勝利、映画プロデューサーのマイケル、スナックのママのかおりと銀行員の田中という面々。事情がわかった美奈子だが、遊んでいるようにしか見えない面々を見てイライラする。アキラは、そんな美奈子を夜の街に連れ出す。そこには各地から続々と集まる人々が歩いている。アキラは「月に一度、新月の夜にこうして集まって会いたかった人を探すのだと教える。

それは月に一度のパレード。落ち着きを取り戻した美奈子は、やっと現実を受け入れ、ここに残って良を探す事を決意する。遊園地にいるメンバーにもそれぞれの人生があった。ヤクザの勝利は数年前、抗争で撃たれて死んでいる。しかし、彼は遺して来た彼女が気がかりである。七回忌に自分の墓へ行くと、組長が組を畳む事にしたと報告している。そして近くに花を持った彼女・みずきがいるのを見つける。勝利は、みずきを追いかけて家に行くと、そこには新しい彼氏がいる。優しそうな彼氏と結婚することを知り、そして満足した勝利は成仏して行く。

かおりは、遺して来た子どもたちが気がかりで、長年見守っている。母亡き後も、協力しあって逞しく生きる子どもたち。そして長女に子どもが出来たのを見届け、満足する。同じように、酪農家の家に生まれたアキラは若くして病を患い、人生の大半を闘病に費やす。厳格だった父親は、アキラの代わりに慣れない小説を書き始めている。やがて遊園地にまた1人、セーラー服の女の子が辿り着く・・・

「パレード」というタイトルからは一見かけ離れたストーリー。この世に思いを残して死んだ主人公が、同じような死者達と一時を過ごす。美奈子は地元紙の記者だったが、同僚はみな自分の身を案じてくれつつ、日々の仕事に追われている。そしてようやく最愛の息子が生きていることを知るが、声をかけてやる事もできない。母親としては、息子の生存を喜びつつ、それでもまだ7歳と幼い我が子に胸を痛める。

人は死んだら何もなくなり無に返ると理性ではわかっているが、それでもこんな事があってもいいなと思ってしまう。人はなかなか思い残す事なく死ねるという事はないようにも思う。マイケルも若い頃の後悔を抱えている。そして美奈子も思いを遂げるが、それはどこか「ここまででいい」という思いのような気がする。そして映画は意外な結末を迎える。それは観る者の心をちょっと温めてくれる。人間は死んだら何も残らないと理性的に思うより、この映画のようにワンクッションあるのだと思うと幸せな気分になる。

映画のラストに英語で「マイケルに捧ぐ」と出てくる。なんだか実話のように思えた映画である・・・


評価:★★★☆☆









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2024年07月26日

【人生は、美しい】My Cinema File 2882

人生は、美しい.jpg

原題: Life Is Beautiful
2022年 韓国
監督: チェ・グクヒ
出演: 
ヨム・ジョンア:セヨン
リュ・スンリョン:ジンボン
パク・セワン:若き日のセヨン
オン・ソンウ:ジョンウ
シム・ダルギ:ヒョンジョン

<シネマトゥデイ>
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余命宣告をされた主婦と、その夫の旅路を描くロードムービー。家庭に尽くしてきた女性が、初恋の相手を捜すために夫と共に各地を訪ね歩く。メガホンを取るのは『国家が破産する日』などのチェ・グクヒ。『エクストリーム・ジョブ』などのリュ・スンリョン、『未成年』などのヨム・ジョンアのほか、パク・セワン、オン・ソンウ、シム・ダルギらが出演している。
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ジンボンとセヨンは、結婚して30年を迎える夫婦。その日、2人は病院で待ち合わせている。セヨンの検査結果を聞くためであるが、セヨンがバスを乗り間違えて遅れてしまう。やむなくジンボンは、ひとり診察室に入って、妻の病状を聞く。診断は末期の肺がんで、余命は2ヶ月。忠告したのに病院に行かなかったとセヨンをなじるジンボンだが、胸中は複雑。長男ソジンは受験で好きな音楽活動を止められて苛立っている。娘イェジンはお気に入りの歌手に夢中で、セヨンには反抗的。

余命宣告を受けたセヨンは、亭主関白な夫と反抗的な子供たちとの暮らしをふと顧みる。その日、身辺整理をしていたセヨンは1枚の写真を見つける。それは初恋の人と撮った写真。そして突然、彼に会いに行こうと思い立つ。最初は相手にしないジンボンだったが、財産の半分を使う権利があると、突然買い物に走るセヨンに「協力しないなら離婚して」と迫られ、ジンボンはやむなくセヨンの初恋の人探しを手伝う事になる。そして子供たちに留守番させて2人は愛車に乗って旅に出る。

物語は並行して夫婦の歴史を追う。反政府運動で偶然出会った2人。不器用なジンボンは公務員試験に7回落ちて、軍隊に行くのも遅れる。やがて結婚し、2人の子供が生まれる。初めこそラブラブだが、次第に亭主関白になっていくジンボン。一方、セヨンの学生時代も描かれる。仲良しのヒョンジョンとつるむ日々。そしてジョンウに憧れる。最初は3人で出かけ、一緒に写真に納まる。この時の写真をセヨンは大事にしまっている。そして勘違いからの別れ。3つのストーリーが並行して進んでいく。

冒頭からいきなりみんなが歌いだす。なんだミュージカルなのかと思うも、歌満載というわけではなく、時折思い出しては歌いだすといった感じ。どうにも中途半端感が否めない。ミュージカルならミュージカルという形にしてもっと歌を増やすべきだと思えてならない。ただ、この映画に限れば、ミュージカルでない方がいいようにも思う。何がミュージカルに向いていて、何が向いていないのかについては意見がわかれるのかもしれない。明るい内容が相応しくてシリアスな内容は似合わないかと言うと、シリアスな内容でも『レ・ミゼラブル』(My Cinema File 993)のような傑作もあるから不向きとも言えない。いずれにしても本作では歌はなくても良かったと思う。

余命宣告を受けたら、人はみなどうするのだろう。主人公の選択は「初恋の人に会う」だった。それは主人公のほろ苦い思い出によるものであったが、結末は意外な展開になる。ジンボンの亭主関白ぶりは、今だと一発アウトのように思う(「湿っている」と言ってシャツを放り投げるとか・・・)。ただ、ラストのジンボンの姿はちょっと哀愁漂うもので嫌悪感はわかない。

人はみな日常生活に埋もれてしまうものであるが、余命宣告など受けなくても主人公のような行動を取ってみたい気もする。そんなことを思わせてくれる映画である・・・


評価:★★☆☆☆









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2024年07月25日

【ミセス・ハリス、パリへ行く】My Cinema File 2881

ミセス・ハリス、パリへ行く.jpg
原題: Mrs Harris Goes to Paris
2022年 イギリス
監督: アンソニー・ファビアン
出演: 
レスリー・マンヴェル:エイダ・ハリス
イザベル・ユペール:クロディーヌ・コルバート
ジェイソン・アイザックス:アーチー
ランベール・ウィルソン:シャサーヌ侯爵
アルバ・バチスタ:ナターシャ
リュカ・ブラヴォー:アンドレ・フォーベル
ローズ・ウィリアムズ:パメラ・ペンローズ

<シネマトゥデイ>
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『ポセイドン・アドベンチャー』シリーズなどの原作で知られるポール・ギャリコの小説を映画化。1950年代のイギリス・ロンドンに暮らす家政婦が、一目ぼれしたクリスチャン・ディオールのドレスを手に入れるためにフランス・パリを訪れる。監督・脚本などはアンソニー・ファビアン。主人公を『ファントム・スレッド』などのレスリー・マンヴィル、ディオール本店の支配人を『ピアニスト』などのイザベル・ユペールが演じるほか、ジェイソン・アイザックス、ランベール・ウィルソン、アルバ・バチスタらが共演する。
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1957年のイギリス。主人公のエイダ・ハリスは、家政婦として生計を立てている。第2次世界大戦後12年経つが、夫のエディーはいまだ戦地から帰らない。エイダは家政婦仲間のヴァイと親しくしている。家政婦に通う家は様々。女優の卵だったり、金持ちの夫人宅だったり。エイダの仕事ぶりは手際よく、何よりも親切心に溢れている。その日、エイダ宛に英国空軍から小包が届く。1人で中を見るのが怖かったエイダはヴァイに開けてもらう。それはエディーの戦死を告げるもの。箱の中にはエディーが持っていた指輪が納められている。

気落ちする間もなく働く日々。エイダはダント家でクリスチャン・ディオールのドレスを見せられてその美しさに魅せられる。500ポンドの値段にさらに驚く。しかし、ダント夫人はこのドレスは夫に内緒とエイダに言い包める。一方で、エイダの賃金は未払いが続いている。そんなある日、エイダはサッカーくじに当選し、140ポンドの大金を手にする。ヴァイと喜びを分かち合ったエイダは、ディオールのドレスを買おうと決意する。そして友人のアーチーに誘われるがまま、彼が働く犬のレース場に行く。

あまり関心のわかなかったエイダだが、オートクチュールと言う名前の犬に何かの啓示であるかのように感じ、大枚100ポンドを一点張りする。周りは必死になって止めるが、エイダは譲らない。世の中、奇跡が起こることもある。そして運命のレースが始まる。こういう展開では周囲の心配をよそに奇跡が起きたりするが、この映画は現実的。オートクチュールはあっさり負けてエイダは大金を失う。失意のエイダは、帰り道で高価な指輪を見つけ警察に届ける。

しかし、奇跡のようなことは起こる。翌日、英国空軍の関係者がやってきて、エイダに夫に対する未払い給与がある事を告げる。また指輪の持ち主が現れ、エイダにお礼を届ける。そして実はドッグレースでアーチーがエイダに内緒で100ポンドのうち10ポンドを別のレースに賭けていて、そのレースに勝ったと配当金を持ってくる。それは失った賭け金を取り戻すもの。善意の人間には神様も微笑むのかもしれない。こうして500ポンドを貯めたエイダは意気揚々とディオールの服を買いにパリへ行く・・・

「ミセス・ハリス、パリへ行く」というタイトルはこういう展開なのかと興味深く鑑賞する。海外旅行は初めてなのだろう、パリに着いたエイダは勝手がわからない。深夜の駅のホームで1人になったエイダはホームレスたちと時間を過ごす。普通に考えれば危険を感じてもおかしくないが、エイダは無知なのか普通にホームレスの男と接する。それが功を奏し、ホームレスの男は身なりとは裏腹に親切で、翌朝ディオールの店舗まで案内してくれる。

当時のパリは労働者のストで街にゴミが溢れかえっている。ディオールについたエイダだが、ちょうどその日はファッションショーの日。金持ちが続々と現れるが、招待状もないエイダは軽くあしらわれてしまう。当時はディオールはオーダーメイドであったようで、店頭で既製服を売っているわけではない。これも改めて知った興味深い事実。ディオールの重役クロディーヌは庶民のエイダを見下して追い出そうとする。しかし、エイダが現金を持っていた事から、会計のアンドレは彼女をショーに入れようとする。最後はシャサーヌ侯爵が、自分の連れとして扱う。

富裕層の中に入ったエイダはいかにも場違い。ディオールの顧客の中には、そんなエイダに露骨に不快感を示す婦人がいる。その婦人はエイダにあてつけるように、エイダが買おうとしたドレスを横取りしてしまう。やむなく2番目のドレスを選択するが、完成までに2週間かかると言われエイダは慌てる。資金的にも仕事的にもそんな余裕はない。そんなところにもエイダの無知が目につくが、アンドレの好意で家に泊まれることになる・・・

物語はそんなエイダのドレスを買う姿を追って行く。現代のように誰もが店舗を訪れて買えるものではなく、常連の富裕層を招待してファッションショーを行い、その場で販売する。お買い上げとなれば、採寸が始まりじっくりと縫い上げる。そんな当時のファッション・ブランドの様子が興味深い。そして人の良いエイダはみんなを惹きつけていく。会計のアンドレやモデルのナターシャらはエイダに好意を持っていく。

分不相応のドレスを買おうとするエイダをディオールの重役クロディーヌは、馬鹿にする。買ってもどこで着るのかと見下す。自由平等博愛の国でも格差はある。しかし、それでもエイダの行動は人の心を動かしていく。気付けばディオールで働く社員たちはみんなエイダに心を許していく。それが後半の奇跡へと繋がる。「情けは人のためならず」という言葉がある。エイダの行動は巡り巡ってエイダ自身に奇跡をもたらす。いつしか胸も熱くなる。

結局のところ、私利私欲にとらわれないエイダの行動が周りの人々の心を動かしていく。それは、ディオールのプライドからエイダを見下していたクロディーヌの心でさえ動かす。念願かなって手に入れたドレスだが、最後までその行方はわからない。分不相応だから諦めるという事ではなく、エイダは純粋にディオールのドレスに憧れ、これを手にするために努力する。周囲の人の温かい助けを借りながら。

ラストでディオールのドレスに身を包んで踊るエイダ。若い女性でなくてもその姿は美しい。最後まで心が温かくなる映画である・・・


評価:★★★☆☆








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2024年07月20日

【ゴジラ−1.0】My Cinema File 2880

ゴジラ−1.0.jpg
 
2023年 日本
監督: 山崎貴
出演: 
神木隆之介:敷島浩一
浜辺美波:大石典子
山田裕貴:水島四郎
青木崇高:橘宗作
吉岡秀隆:野田健治
安藤サクラ:太田澄子
佐々木蔵之介:秋津清治

<映画.com>
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日本が生んだ特撮怪獣映画の金字塔「ゴジラ」の生誕70周年記念作品で、日本で製作された実写のゴジラ映画としては通算30作目。『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズをはじめ『永遠の0』「寄生獣」など数々の話題作を生み出してきたヒットメーカーの山崎貴が監督・脚本・VFXを手がけた。
タイトルの「−1.0」の読みは「マイナスワン」。舞台は戦後の日本。戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現する。ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす。戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。
主演を神木隆之介、ヒロイン役を浜辺美波が務め、NHK連続テレビ小説「らんまん」でも夫婦役を演じて話題を集めた2人が共演。戦争から生還するも両親を失った主人公の敷島浩一を神木、焼け野原の戦後日本をひとり強く生きるなかで敷島と出会う大石典子を浜辺が演じる。そのほかのキャストに山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、 佐々木蔵之介ら。2023年12月にはアメリカでも公開され、全米歴代邦画実写作品の興行収入1位を記録するなど大ヒットを記録。第96回アカデミー賞では日本映画として初めて視覚効果賞を受賞するという快挙を達成した。第47回日本アカデミー賞でも最優秀作品賞ほか同年度最多8部門の最優秀賞を受賞した。
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ここのところ「ゴジラ映画」がいろいろと創られている。ハリウッド版の『GODZILLA ゴジラ』(My Cinema File 1478)とか『シン・ゴジラ』(My Cinema File 1795)とかである。子供の頃に観ていたゴジラシリーズは、「ゴジラ対〇〇」といったもので、ゴジラは正義の味方というイメージであったが、近年は元に戻って「害獣」的な存在となっている。そんなゴジラの最新作。タイトルに「−1.0」とついているのが特徴。最近は「2.0」とか「3.0」とかの表示をよく見るが、「−」というのは初めて。その意味は観ていくうちにわかってくる。

時に1945年、第二次世界大戦の末期。1機の零戦が大戸島の守備隊基地に着陸する。どうやら特攻作戦に参加したものの、機体の不具合で緊急着陸したようである。パイロットは敷島浩一。爆弾を装着したまま整備されていない凸凹の滑走路に着陸し、基地所属の整備班リーダー橘宗作からその腕前を褒められる。しかし、橘はまた点検の結果、機体に故障個所が見当たらないため、敷島に不信感を持つ。

その日、なぜか海面に深海魚が多数浮かび上がっているのが目撃される。島の言い伝えではそんな日はゴジラが出ると言う。その夜、夜の海から突然恐竜のような生物が現れる。慌てて撃退しようとするが、整備兵中心の守備隊はなす術もない。橘は零戦の20mm機銃でゴジラを撃つように敷島に頼むが、恐れをなした敷島は引き金を引けず、整備班はリーダーの橘を残して全滅する。やがて終戦となり、引上げ船の中で、敷島は橘から整備班の持っていた家族の写真を押し付けられる。

日本に帰国した敷島は焦土と化した東京に愕然とする。ようやく帰り着いた自宅は焼け落ちており、隣人の太田澄子から両親ともども死亡したことを知らされる。なんとか暮らし始めた敷島だが、ある日闇市で誰かから逃げてきた女から赤ん坊を押し付けられる。女は姿を消し、敷島は途方にくれるが、やがて逃げ切って戻ってきた女と再会する。おんなは大石典子と名乗る。同じように空襲で両親を失った典子は行くあてがなく、敷島の家(といっても焼け跡に建てたバラック)に転がりこむ。

敷島は2人を養うために復員省から紹介を受けた磁気式機雷の撤去の仕事を受ける。危険が伴うゆえに高給の仕事であるが、そこで木製の掃海艇の乗組員である水島四郎と元技術士官の野田健治、船長の秋津C治と出会う。時は1945年から1946年、1947年へと移っていく。給料を溜めた敷島は家を改装し、典子と子供の明子と生活も安定している。ただ、典子とはまだ他人のままで、典子は敷島の足手まといにならないよう自立しようとして銀座で事務員の仕事を見つけてくる。その頃、ビキニ諸島では米軍による原爆実験が行われる・・・

『シン・ゴジラ』(My Cinema File 1795)では、ある時突然海からゴジラ(の幼獣?)が現れたが、ここではまだ小型のゴジラが登場し、それがどうやら米軍の核実験で被爆した事により巨大化する。そしてゴジラは日本へ向かう。その途中で駆逐艦を沈めるが、当時はソ連との関係性が悪化していたため、米軍は軍事行動を起こせず、日本が単独でゴジラに対処するようことになる。敗戦後でろくな軍事力も兵員もない日本がどうゴジラに太刀打ちするのか。それが1つの見どころになる。

キーを握るのは、ゴジラとの遭遇から悪夢にうなされ、トラウマを抱える敷島。そしてついに日本に上陸するゴジラ。機転を利かせて機雷でゴジラの顔半分を吹き飛ばすことに成功するも、ゴジラは恐るべき再生能力で回復する。ゴジラと言えば東京タワーであるが、この時代、まだ東京タワーは建設されていない。変わりに向かったのが銀座。そして当時の銀座のシンボル的存在であったのは、空襲でも被害を免れた日本劇場。それが無残にも破壊される。

ゴジラの基本的能力は同じで、尻尾から背びれが青く輝き、口から猛烈な熱線を吐き出す。その再生能力とあちこちで肉片をまき散らす様子がラストへの伏線になる。戦力が乏しい中、自然の海の力を利用した作戦。そしてトラウマを負った敷島の行動。局地戦闘機「震電」の存在は知っていたが、その姿は戦闘機が逆向きに飛んでいるかのようであり、このアイディアは素晴らしいと思う。どうしても「ゴジラ退治」に主眼が置かれがちではあるが、人間ドラマも丁寧に描かれ、物語の世界に引き込まれる。

『シン・ゴジラ』(My Cinema File 1795)とはまた違った趣が溢れるこの映画。やはりハリウッドには真似のできないものを感じる。思わせぶりなラストはただの余韻なのか。ちょっと気になった映画である・・・


評価:★★☆☆☆








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