2013年07月09日

八日目の蝉

八日目の蝉.jpg

2011年 日本
監督: 成島出
出演: 
井上真央/恵理菜
永作博美/野々宮希和子
小池栄子/千草
森口瑤子/秋山恵津子
田中哲司/秋山丈博
劇団ひとり/岸田
風吹ジュン/沢田昌江

<Movie Walker 解説>
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角田光代のベストセラー小説を映像化した深遠な人間ドラマ。
主人公は、不倫相手の子供を誘拐し4年間育てた希和子と、彼女に育てられた過去を引きずったまま大人になった恵理菜。
“母性”をテーマに、それぞれが抱える複雑な思いを、時に繊細に、時に力強く描出。
変化を遂げていく女たちの姿に引き込まれ、最後まで目が離せない。
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冒頭、いきなり裁判のシーン。
まだ幼い我が子を誘拐され、一番かわいい盛りの4年間を奪われた母親が、犯人に憎しみをぶつける。
一方、被告となった女、希和子は静かに述べる。
「四年間、子育ての喜びを味わわせてもらったことを感謝します」と……。
この映画、何と深いシーンから始るのだろう。

被害者夫婦の間に生まれた生後6カ月の恵理菜を誘拐したのは、被害者の夫である丈博と不倫関係にあった野々宮希和子(永作博美)。
希和子は、妻帯者である丈博の子供を身ごもるが、結局中絶する。
しかもその後遺症で子供が産めない体になってしまう。

さらに希和子は、丈博から恵津子との子供のことを知らさる。
追いうちをかけるように恵津子から、子供を自慢されなじられてしまう。
思い余った希和子は、夫婦の留守宅に忍び込みこむと、一人寝ていた赤ん坊を抱かかえて雨の中を飛び出していく。
希和子は子供を薫と名づけ、人目を避け、各地を転々としながら二人で暮らす。

一方事件から月日が経ち、誘拐された赤ん坊=恵理菜(井上真央)は21歳の大学生となっている。
4歳で初めて実の両親に会い、私たちこそが正真正銘の家族だ、と言われても実感が持てず、ギクシャクした家庭に育ち、今は一人下宿生活を送っている。

知り合った妻帯者の岸田孝史(劇団ひとり)を好きになるが、やがて岸田の子供を身籠る。
そんな頃、恵理菜のバイト先にルポライターの安藤千草(小池栄子)が訪ねてくる。
千草はあの誘拐事件を本にしたいという。
そして二人で、かつて希和子と逃亡生活を送った地を訪ねて歩く…。

卵から孵った雛は、最初に目にしたものを親だと思いこむという。
この「刷り込み」という現象は、何も雛だけの話ではないかもしれない。
物心ついた時から、自分を慈しんで育ててくれる人を親だと思って懐くのは人間誰しも同じである。
そして、自分が本当にその親の子かどうかなどわかるはずもない。

映画は思い余って愛人の赤ん坊を誘拐してしまった女と、その女に4年間育てられた上で、実の親子に引き取られた娘の物語。
二人の女性の姿が、時を越えて同時並行で描かれる。
事件を起こした希和子も、被害者の妻も、当人である恵里菜も、幸せからは遠いところにいる。

4年の時を経て帰ってきた我が子であるが、4歳の子供にそんな事情などわかるはずもなく、ただ愛しいママと離れ離れになった悲しみがあるだけ。
実の母に懐かず、またそんな我が子に半狂乱になる母親。
見守る父親もすべての原因を作った諸悪の根源となれば、慰めの言葉も慰めにはならない。
そんな様子が、画面では描かれずとも自ずと脳裏に浮かんでくる。

恵里菜を取材する千草も、実は心に闇を抱えている。
恵里菜とは過去に意外な接点もある。
登場する女性たちに共通するのは「哀しみ」。
それぞれ種類は異なるが、その哀しみが観る者の心に染みいる。

犯罪者を悪人と言い切れないところが、「悪人」に相通じるところがある。
真の悪人は、実は男なのかもしれない。
原作も秀逸なのかもしれないが、日本映画の奥深さを感じさせられる映画である。


評価:★★★☆☆



    

     
    
posted by HH at 23:05 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ドラマ
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