2018年07月14日

【黒い雨】My Cinema File 1947

黒い雨.jpg

1989年 日本
監督: 今村昌平
原作: 井伏鱒二
出演: 
田中好子:高丸矢須子
北村和夫:閑間重松
市原悦子:閑間シゲ子
原ひさ子:閑間キン
沢たまき:池本屋のおばはん
立石麻由:美池本屋文子
小林昭二:片山

<映画.com>
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原爆による黒い雨を浴びたために人生を狂わせられてしまった女性と、それを暖かく見守る叔父夫婦とのふれあいを描く。井伏鱒二原作の同名小説の映画化で、脚本・監督は「女衒」の今村昌平、共同脚本は「ジャズ大名」の石堂淑朗、撮影は「危険な女たち」の川又昂がそれそれ担当。
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タイトルを見て、「原爆の話だな」と思ったのは、井伏鱒二の原作をよんでなくてもその存在を知っていたからにほかならない。そしてその原作も随分前のものだし、この映画も白黒であることから、古い映画だと思っていたら、1989年の作品と知ってちょっと驚きである。30年前の作品を新しいとは思わないが、イメージとしては昭和20年代の映画という雰囲気が漂っていたのである。

物語は昭和20年8月6日に始まる。午前8時過ぎに原爆が投下される。爆風が人や建物をなぎ倒す。通勤途中であった重松は、爆風でひっくり返った電車内から辛うじて抜け出すと自宅に戻る。一方、市内から離れた疎開先でキノコ雲を見た矢須子は、叔父の重松とシゲ子夫妻の安否を確認するため舟で瀬戸内海を渡る。その途中、降って来た「黒い雨」を浴びてしまう。

叔父夫妻と合流した矢須子は、崩壊した自宅を後にし、重松が勤務している工場に避難することにする。市内では至るところに火の手が上がり、焼け焦げた人間の体が瓦礫と共に転がっている。皮膚が溶けた体の少年が兄に呼び掛けるが、兄は弟と判別できない。話に聞く地獄絵図。そしてこの避難の影響は後日判明する。広島市内には強い残留放射能に満ちていたのである。工場に到着し、ほっと息をついた矢須子達はそのことを知らない。

時は流れて昭和25年。矢須子は叔父夫婦とともに広島県福山市に住んでいる。矢須子は25歳になっているが、被爆したという噂が流れ縁談がまとまらない。重松は噂を払拭するため、医者に矢須子の健康証明書を出して貰い見合い先に送る。しかし、今度は「わざわざ証明書を出すのがおかしい」と言われてうまくいかない。この時代、今と違って婚期が意識されていただろうから深刻である。

重松は健康証明書に加え、矢須子の日記を清書して潔白を示そうとする。しかし、日記などは後でどうにでも改編できるから意味ないのにと心中思う。戦争により傷ついた人間は近所に他にもいて、エンジン音を聞くと戦車への突撃を思い出して、飛び出していく悠一は少し精神をやられている。重松の幼馴染2人もいつ発症するかと案じている。原爆症はいつ何時発症するかわからず、重松もシゲ子も気が気ではない。矢須子も例外ではなく、それを気にしないという青年が交際を申し込んでくるが、結局うまくいかない。そして結婚を諦める矢須子。

こうして物語は矢須子と重松夫妻とを中心に進んでいく。主人公の矢須子を演じるのは故田中好子。入浴シーンもあって、結構頑張っている。こんな映画に主演で頑張っていたなんてこれまでまったく知らないでいた。そんな田中好子演じる矢須子を中心に、ひたすら描かれていくのは被爆者たちの苦しみ。普通の爆弾がその場限りなのに比べ、原爆は後々まで深刻な影響を残す。矢須子たちと同じように苦しんでいる人も大勢いるはず。それは結婚にまで影響している。世の中が平和と繁栄を謳歌する中、苦しみ続けなければならない悲劇。

 映画はエンターテイメントであるはずであるが、この映画は原爆の悲惨さをビジュアルに訴えてくる。被爆直後の市内の様子が、『はだしのゲン』を読んで衝撃を受けたシーンと被っていて、かなりリアルであった。白黒で撮った意味もこういうところにあるのかもしれないと思う反面、カラーであった方が訴えるものは強かったのではとも思える。ただただ反戦を訴えるより、こういう映画にした方がインパクトはあると思う。
 
 田中好子の主演と相俟って、観る価値のある映画である・・・


評価:★★☆☆☆





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2018年07月13日

【わが母の記】My Cinema File 1946

わが母の記.jpg

2012年 日本
監督: 原田眞人
原作: 井上靖
出演: 
役所広司:伊上洪作
樹木希林:八重
宮崎あおい:琴子
南果歩:桑子
キムラ緑子:志賀子
ミムラ:郁子
菊池亜希子:紀子
三浦貴大:瀬川
真野恵里菜:貞代
赤間麻里子:美津
三國連太郎:隼人

<シネマトゥデイ>
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「敦煌」「天平の甍」などで知られる小説家・井上靖が自身の家族とのきずなを基に著した自伝的小説「わが母の記」を、『クライマーズ・ハイ』などの原田眞人監督が映画化した家族ドラマ。老いた母親との断絶を埋めようとする小説家の姿を映し、母の強い愛を描いていく。主人公の小説家には役所広司、母には樹木希林、そして小説家の娘に宮崎あおいがふんし、日本を代表する演技派俳優たちの共演に期待が高まる。
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物語は1959年から始まる。小説家の伊上洪作は、実家の父の見舞いに来ている。布団に臥す父の姿は、もう先が短い様子が漂う。さらに老いた母は、ついさっき言ったことを初めて言うかの如くに話す。こちらも痴呆症が心配な様子である。故郷を後にする洪作が乗るのは、今や懐かしいボンネットバス。自宅に戻ると、家族総出で洪作の新作小説にせっせと検印を捺している。今はこんな事はしていないのだろうが、時代背景が興味深い。

検印作業は作家の家族の仕事であったが、父親に反発している三女の琴子の姿はない。自室にこもって夕食にも降りて来ない琴子に不満を募らせる洪作。よくありがちな家族の様子。傍から見ていると、洪作の態度に原因があるようにも思える。そしてその夜、父の訃報が入る。父の葬儀の様子は、田舎の風情溢れるものである。

父亡き後、洪作の妹・桑子が母・八重の面倒を見ているが、八重の痴呆症は徐々に進んでいく。1963年の八重の誕生日には、一族が川奈ホテルに集まる。洪作の家族の他、桑子夫婦、もうひとりの妹・志賀子夫婦、さらには運転手の瀬川、秘書の珠代。盛大なお祝いの会であるが、八重の痴呆はさらに進む。

こうして時がゆっくりと過ぎゆき、一族のそれぞれのエピソードが描かれていく。その中心になっていくのは八重。交通事故に遭って家で療養している明夫を罵倒するに至っては、桑子も耐えきれなくなったり、日頃から家族を小説やエッセイのネタにする洪作に対し、娘たちの不満が爆発したりする。特に次女の紀子は、映画を観に行った時、嵐がひどくなりそうという理由で映画の途中で帰宅させられたことを根に持っていたりする。

物語はそんな家族のエピソードを交えながら進んでいく。父親に権威のあった時代ではあるが、その権威はどこか独善的。考えてみれば、父親の権威が薄れてしまったのは、父親たちがその権威を正しく使わなかったからのようにも思える。そしてなんと言っても洪作と母八重の関係。息子にとって母親は煩わしく、しかし放ってはおけないもの。洪作は少年時代に8年間祖母に預けられた経験があって、それを「捨てられた」と根に持っている。

母親が痴呆になると、計算されない自然の感情が表に出てくる。洪作が「捨てられた」と思っていた出来事にも、実は母親なりの事情があり、洪作は愕然とする。息子にとって父親よりもやはり母親が気になるものなのかもしれない。父親の立場からすると微妙なのであるが、洪作もまた然り。洪作の母親に対する愛情もあふれ出てきて、思わず涙腺が緩みそうになったりもする。

原作は作家の井上靖であるが、やはりこれは実話なのだという。自身の経験を基にしているからこそ、心に迫ってくるものがあるのかもしれない。自分の母親もだいぶ年老いたが、まだまだ頭の方は辛うじてしっかりしている。今のうちに孝行しておきたいという気持ちにさせられる。人の振り見て、ではないが、意識したいと思わせてくれる一冊である・・・


評価:★★☆☆☆





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2018年07月08日

【メイジーの瞳】My Cinema File 1945

メイジーの瞳.jpg

原題: What Maisie Knew
2012年 アメリカ
監督: スコット・マクギー/デビッド・シーゲル
出演: 
ジュリアン・ムーア:スザンナ
アレクサンダー・スカルスガルド:リンカーン
オナタ・アプリール:メイジー
ジョアンナ・バンダーハム:マーゴ
スティーブ・クーガン:ビール

<映画.com>
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『綴り字のシーズン』のスコット・マクギー&デビッド・シーゲル監督が、離婚する両親に翻弄される少女の日常を描いたヒューマンドラマ。ロック歌手の母と美術商の父の間に生まれた少女メイジー。日頃から喧嘩してばかりの両親はついに離婚を決め、メイジーはそれぞれの家を行ったり来たりすることに。ところが、忙しい父はベビーシッターのマーゴに、母は新恋人リンカーンにメイジーを預けるようになり……。原作は「ある貴婦人の肖像」「鳩の翼」などで知られるヘンリー・ジェームズの小説。2012年・第25回東京国際映画祭コンペティション部門では、「メイジーの知ったこと」のタイトルで上映された。
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主人公の少女メイジーの父親は美術関係の仕事をし、母親はロックスター。愛し合って結婚し、メイジーが生まれたのであろうが、今や2人の関係にはひびが入り諍いが絶えない。そんな2人の口論をまるで聞こえないかのように子守に雇われたマーゴと一緒に夕飯を食べるメイジー。その姿は健気である。両親の関係はついに破綻し、母のスザンナは夫の留守中に玄関の鍵を交換して締め出してしまう。ここに至り離婚調停となり、その結果、双方単独親権は認められず、それぞれが10日ずつメイジーの世話をすることになる。

父親の家に行ったメイジーを待っていたのは、子守りをしていたマーゴ。子供には慣れ親しんだ子守りのマーゴも一緒で嬉しいのだろうが、大人の目から見れば違う事情が見えてしまう。それはロックスターの母親も同様で、やがて新しい恋人リンカーンと暮らし始める。双方ともメイジーを大事に考えていることは間違いがないが、自分の人生を大事にしている姿も共通している。まぁ、それはそうなのかもしれない。

父親の家にいるメイジーに、ある日母親から花束が届く。しかし、父親はそれを良しとせずゴミ箱に捨ててしまう。それをこっそり見ていたメイジーは、密かにそれを拾ってクローゼットに隠す。それを見つけたマーゴ。マーゴはそれを捨てることもできたであろうが、メイジーの気持ちを考え、押し花にしようと提案する。メイジーを思うマーゴの気持ちが嬉しい。

両親ともにメイジーに対する愛情はあっても仕事は多忙。勢い、メイジーの世話はそれぞれの恋人が担うことになる。そうすると、2人のバッティングも生じるわけで、母親が世話をする引き受けるべきある日、学校に迎えに来るべきはずの母親が姿を見せず、急遽マーゴが迎えに来る。しかし、その日は父親とマーゴが新婚旅行に行く日であり、マーゴもメイジーを連れてはいけない。そこに現れたのはリンカーン。しかし学校の管理人は、面識のないリンカーンにメイジーを預けられない。そこでマーゴが間を取りなし、2人が出会う。

バーテンとして働くリンカーンは、日中の時間の自由もきき、すぐにメイジーと仲良くなる。そしていつの間にかメイジーと過ごす時間は、両親よりもリンカーンとマーゴの方が長くなる。さらに父親は仕事の都合上、ロンドンへの移住を考え始めるが、そうすると10日間ずつメイジーの世話をすると言う約束がうまく機能しなくなる。母親も全米ツアーとなると長期間の移動生活になる。メイジーを育てる環境にきしみが入りはじめる・・・

「子はかすがい」とはよく言われることである。子供のために我慢をすることで夫婦関係が持続するのであるが、その良し悪しは別として、それで子供の生活環境が維持されるということはある。されど親にも個人の人生があると考えられるようになると、この映画のメイジーのように、子供がそのしわ寄せを受けるということが出てくる。そんなメイジーに深い愛情を示して世話をするのは、マーゴとリンカーン。この映画の視点は実に面白い。

映画を観ながら様々なことが脳裏を過る。親としてどう振舞うべきなのか。両親はメイジーに愛情を持っていないわけではない。それぞれに深い愛情を持っているが、その前に「自分も大事」と思っている。いい相手が出てくれば恋愛もするし、仕事も大事。それはそれで現代的で悪くはないと思うが、それでも「自分よりまず子供」と考えるのなら、メイジーの両親の行動は自分ならやらないと思ってしまう。そんな中で、リンカーンとマーゴの優しさが清涼剤となって心に響いてくる。

メイジーの愛らしさが全編を通じて何とも言えない。この映画に対する感情移入のすべてがこの子に負っていると思う。ラストのメイジーの無邪気さが心に残る映画である・・・


評価:★★☆☆☆






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2018年07月03日

【ムーンライト】My Cinema File 1942

ムーンライト.jpg

原題: Moonlight
2016年 アメリカ
監督: バリー・ジェンキンス
出演: 
トレバンテ・ローズ:シャロン(ブラック)
アンドレ・ホランド:ケヴィン
ジャネール・モネイ:テレサ
アシュトン・サンダース:10代のシャロン
ジャハール・ジェローム:10代のケヴィン
アレックス・ヒバート:シャロン(リトル)
マハーシャラ・アリ:フアン
ナオミ・ハリス:ポーラ

<映画.com>
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マイアミを舞台に自分の居場所とアイデンティティを模索する少年の成長を、少年期、ティーンエイジャー期、成人期の3つの時代構成で描き、第89回アカデミー賞で作品賞ほか、脚色賞、助演男優賞の3部門を受賞したヒューマンドラマ。マイアミの貧困地域で暮らす内気な少年シャロンは、学校では「リトル(チビ)」と呼ばれていじめられ、家庭では麻薬常習者の母親ポーラから育児放棄されていた。そんなシャロンに優しく接してくれるのは、近所に住む麻薬ディーラーのフアン夫妻と、唯一の男友達であるケヴィンだけ。やがてシャロンは、ケヴィンに対して友情以上の思いを抱くようになるが、自分が暮らすコミュニティではこの感情が決して受け入れてもらえないことに気づき、誰にも思いを打ち明けられずにいた。そんな中、ある事件が起こり……。母親ポーラ役に「007」シリーズのナオミ・ハリス、麻薬ディーラーのフアン役にテレビドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」のマハーシャラ・アリ。プロデューサーとしてアカデミー賞受賞作「それでも夜は明ける」も手がけたブラッド・ピットが製作総指揮。本作が長編2作目となるバリー・ジェンキンスがメガホンをとった。
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ある黒人青年の姿を3期に分けて描いた作品。
最初は『リトル』と題された第1部。主人公の黒人少年シャロンはどこか気弱で、「リトル」という渾名を付けられている。物語はシャロンがいじめっ子たちに追いかけられ、隠れているところを麻薬の売人であるフアンに見つけられるところから始まる。フアンに話し掛けられても満足に返答できないシャロン。フアンはシャロンを自宅へと連れていき、夕食を振舞う。フアンの妻テレサに優しく話しかけられ、シャロンはようやくポツリポツリと自分の事を話す。

その夜、家に帰りたくないと話すシャロンはフアンの家に泊めてもらう。そして翌日、家に送ってもらうが、母ポーラはフアンに対し敵意に満ちた態度を取り、お礼の言葉もない。シャロンには、学校ではクラスメートのケヴィンしか友人がいない。そのためもあって、シャロンはフアンと多くの時間を共に過ごすようになり、泳ぎや人生について教えられる。ある夜フアンは、自分の顧客のひとりが、ポーラと車中でコカインを吸っていることに気付く。何とも言えない貧困地域の現実である。

第2部は『シャロン』と題し、ティーンエイジャーとなったシャロンの姿を追う。相変わらずケヴィンとは仲良くしているものの、同級生によるいじめは変わらず、母のポーラは薬物依存に陥り、ヤク代欲しさに売春もしている様子。よくしてくれていたフアンは既に亡く、シャロンは時折テレサを訪ねては食事をさせてもらったりしている。年頃になったシャロンはある夜、ケヴィンとビーチへ行きマリファナを吸いつつ、ふたりはキスを交わす。どうやらシャロンにはゲイの気質があるのかもしれない。揺れる思春期のシャロン。ある日、シャロンはケヴィンに自分を殴らせた相手を椅子で殴りつけ、逮捕される・・・

第3部は、成人したシャロンが描かれる『ブラック』。いつの間にかたくましく成長したシャロンは、アトランタに移り住み、薬物の売人をやっている。同級生を椅子で殴りつけたあと少年院に送られ、いつしか薬物の売人になっていたのである。母のポーラから頻繁に家に帰るよう求める電話がかかってきている。そんなある夜、長く会うこともなくなっていたケヴィンから電話がかかってくる。ケヴィンは食堂で調理師として働いている・・・

 全体として淡々としたドラマである。シングルマザーの家庭に育ち、しかもその母親は薬物中毒。たぶん、似たような境遇にある黒人はたくさんいるのだと思う。気弱でいじめられっ子だった主人公のシャロンは、結局ヤクの売人になっている。そこに至る成長の過程が、彼の境遇を浮かび上がらせていて、何とも言えない物語の味わいとなっている。アカデミー作品賞に輝いたのも、そんなテイストが評価されたのかもしれない。

 人に歴史ありとはよく言われることであるが、シャロンの短いながらも3つの時期を見ていくことで、人の成長過程を見る面白さがある。それは決して華やかではなく、むしろヤクの売人という日陰の人物の人生であるが、だからこそ味わいがあるとも言える。ラストで映されるまだまだあどけなさを残していたシャロンの表情が、何とも言えない映画である・・・


評価:★★☆☆☆






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2018年06月29日

【シェイプ・オブ・ウォーター】My Cinema File 1939

シェイプ・オブ・ウォーター.jpg

原題: The Shape of Water
2016年 アメリカ
監督: ギレルモ・デル・トロ
出演: 
サリー・ホーキンス:イライザ
マイケル・シャノン:ストリックランド
リチャード・ジェンキンス:ジャイルズ
ダグ・ジョーンズ:不思議な生きもの
マイケル・スタールバーグ:ホフステトラー博士
オクタビア・スペンサー:ゼルダ

<映画.com>
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『パンズ・ラビリンス』のギレルモ・デル・トロが監督・脚本・製作を手がけ、2017年・第74回ベネチア国際映画祭の金獅子賞、第90回アカデミー賞の作品賞ほか4部門を受賞したファンタジーラブストーリー。1962年、冷戦下のアメリカ。政府の極秘研究所で清掃員として働く女性イライザは、研究所内に密かに運び込まれた不思議な生き物を目撃する。イライザはアマゾンで神のように崇拝されていたという“彼”にすっかり心を奪われ、こっそり会いに行くように。幼少期のトラウマで声が出せないイライザだったが、“彼”とのコミュニケーションに言葉は不要で、2人は少しずつ心を通わせていく。そんな矢先、イライザは“彼”が実験の犠牲になることを知る。『ブルージャスミン』のサリー・ホーキンスがイライザ役で主演を務め、イライザを支える友人役に『ドリーム』のオクタビア・スペンサーと『扉をたたく人』のリチャード・ジェンキンス、イライザと“彼”を追い詰める軍人ストリックランド役に『マン・オブ・スティール』のマイケル・シャノン。アカデミー賞では同年最多の全13部門にノミネートされ、作品、監督、美術、音楽の4部門を受賞した。
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 アカデミー賞を受賞した映画となると、やはり観ておきたいと思うもの。これは2018年のアカデミー賞受賞作品として楽しみにしていた映画である。
 物語の舞台は1962年のアメリカ。何が原因かははっきりと説明されていないが、主人公のイライザはろうあ者ではないが、話すことができない。なぜかソファで寝ていて、目を覚ますとシャワーを浴び、食事をして隣室のジャイルズの部屋を覗いたあと出勤するという毎日を送っている。

 勤め先は政府機関で、そこでは清掃員として働いている。同僚のゼルダはいつもなにくれとなくイライザの手助けをしてくれている。その仕事はなぜか夜の間。したがって、昼夜逆転の生活となっている。そんなある日、勤務先にホフステトラー博士が赴任してくる。それとともに運び込まれた謎のタンク。イライザはそのタンクに興味を持つ。

 イライザとゼルダがトイレ掃除をしていると、ストリックランドという男が入ってくる。非常に不遜な態度を取る男で、イライザとゼルダの前で小用を済ませるが、なんと手を添えない。そのストリックランドが、そのしばらく後、事故で指を失う。あたり一面が血だらけとなった中で、清掃のため普段立入りができない実験室に入ったイライザは、そこで運び込まれたタンクの中身が実は「半魚人」だとわかる。

 普通であれば気味悪がるところだろうが、イライザはなぜかその半魚人に親近感を持つ。何気なく半魚人にゆで卵を渡し、手話で話し掛ける。この時から、イライザは密かに半魚人との交流をはかるようになってゆく。時代は米ソ冷戦下。アメリカはこのアマゾンの奥地で神として現地人の崇拝を受けていた半魚人を研究対象としている。ホフステトラーは人間に代わる宇宙飛行士としてロケットに乗せようと提案している。それに対し、ストリックランドは、生体解剖を主張する。

 ストリックランドの計画を知ったイライザは、半魚人との交流が進んでいたこともあり、これを逃がそうとする。一方、実はソ連のスパイであるホフステトラーも、科学者としての興味からか解剖には反対で、密かにイライザと半魚人の交流を観察している。イライザは、ジャイルズに半魚人を逃す手伝いをしてくれるように頼みこむ・・・

 不思議なタイトルとともに、興味を持っていた映画であるが、こういう映画だとは思ってもみなかったところ。こういう異生物との交流というストーリーには、何となくパターンがあって、異生物に何らかの危機が迫って、それに対して非力な主人公が周りの助けを借りて異生物を逃がすというものである。古くは『E・T』がそうであるし、最近では『ピートと秘密の友達』がそうであった。今回の主人公は少年ではないものの、「非力な」という意味では同じである。

 半魚人の脅威となるストリックランドは、どこか異常性を秘めている。トイレで手を添えずに用を足すという些細なところにもそれは現れているし、夫婦関係もまた然り。半魚人に指を食いちぎられ、それを手術によってつなぎとめるものの、術後の経過が思わしくなく、指が変色して臭いを発していく。その表情の異常性が映画に深みを持たせているのは確かである。それにしても、E・Tやドラゴンはどこか愛らしさを残していたが、ここに登場する半魚人はどうにもグロテスク。イマイチ共感性に乏しかったと感じたのは私個人の感性であろうか。

 ストーリー的になぜ現代でなく、1960年代だったのかはよくわからない。しかし、米ソの冷戦下という状況、政府機関でありながら黒人差別が露骨に残り(映画『ドリーム』で描かれていたのと同様である)、男尊女卑の傾向(ゼルダの夫は亭主関白振りを発揮している)があり、映画の背景としては現代よりも物語に厚みが出せたのかもしれないと思ってもみる。
 
 そして何とも言えない味わいのエンディング。その後、イライザがどうなったのか、続きを想像してみたくなる映画である・・・


評価:★★☆☆☆






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