2024年12月28日

【ウーマン・キング 無敵の女戦士たち】My Cinema File 2947

ウーマン・キング.jpg

原題: The Woman King
2022年 カナダ・アメリカ
監督: ジーナ・プリンス=バイスウッド
出演: 
ビオラ・デイビス:ナニスカ
トゥソ・ムベドゥ:ナウィ
ラシャーナ・リンチ:イゾギ
シーラ・アティム:アメンザ
ヒーロー・ファインズ・ティフィン:サント・フェレイラ
ジョン・ボイエガ:キング・ゲゾー
ジミー・オドゥコヤ:オバ・アデ

<映画.com>
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19世紀アフリカを舞台に、女性のみで構成された最強の戦士部隊の戦いを、史実に着想を得て描いた歴史アクション。
1823年。西アフリカのダメホ王国は、奴隷貿易を背景とする民族間抗争に脅かされていた。優れた戦闘技術とすさまじい闘志で王国を守る女戦士部隊アゴジェを率いる将軍ナニスカは、敵対するオヨ王国との戦いに備え、新兵を集めて訓練を開始。その中には、アゴジェに憧れる少女ナウィの姿があった。
『フェンス』のビオラ・デイビスがカリスマ性あふれる将軍ナニスカを熱演するほか、『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』のラシャーナ・リンチ、『スター・ウォーズ』シリーズのジョン・ボイエガが共演。『オールド・ガード』のジーナ・プリンス=バイスウッドが監督、「シティ・オブ・エンジェル」のダナ・スティーブンスが脚本、俳優マリア・ベロが原案・製作を担当。
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なんとなくタイトルからして勝手に『ワンダーウーマン』(My Cinema File 1838)のようなイメージを抱いていたが、まったく違うものであった。物語の舞台は1823年の西アフリカ、ダホメ王国。架空の国かと思ったら、実在の国であると言う。しかも、統治するのはゲゾ王であり、どうやら史実を基にした物語のようである。

冒頭、マヒ族の村を女の軍団が襲う。それはダホメ王国の女戦士軍団アゴジ。率いるのはナニスカ。急襲が功を奏したのか、村人を倒し、捕らえられていた者たちを解放する。どうやら奴隷として売られるところだったようである。村へ凱旋したアゴジ。村人たちは敬意を評して(下を向いて直接見ない)これを迎える。一方、滅ぼされた村へやってきたのは、アバ・オデ将軍率いる一行。将軍はダホメ討伐を決意する。

その頃、ダホメ王国の住人であるナウィが家に帰ると、両親がナウィをとある男に紹介する。それは結婚相手。男はかなり年上であるが、裕福な身であり、ナウィを紹介されると居丈高にしっかり働けと命じる。これに反抗的な態度を取ると、男はその場でナウィを殴る。両親の前でも気にしない態度に、男尊女卑の考え方が根付いている事が窺える。そして気が強いのかナウィは殴り返す。怒った男は婚約を破棄して帰ってしまう。父親も激怒し、ナウィを王宮に連れて行くと、王に献上してしまう。

献上されたナウィは、アゴジのメンバーに加えられる。訓練を経て正式な戦士になると、結婚はできず子も産めず生涯を戦士として過ごす事になる。ナニスカの右腕を務めるアメンザが新メンバーに向かって告げる。覚悟のない者は去れと。中には冒頭で襲撃された村から連行されてきた女たちもいる。その者たちはその場を去っていくが、中には残る者もいる。こうして訓練の日々が始まる。ナウィを指導する教官はイゾギ。ルールその一は、「イゾギに逆らうな」であった。

ある日、ゲゾ王の下にオヨ帝国のアバ・オデ将軍が使者としてやってくる。アバ将軍は貢物としてアゴジ戦士40名を要求する。断れば戦争である。この様子を見ていたナニスカは動揺する。ナニスカはかつて捕虜にされアバ将軍にレイプされた過去があり、この苦い思い出が脳裏を過ぎる。戦士を差し出せと言うのも屈辱である。時間稼ぎのために20名と交渉し、ナニスカはその20名を選ぶ。その頃、奴隷貿易のためポルトガル人の船団が港に入港する・・・

奴隷貿易とは、白人が一方的にアフリカの黒人を捕らえていたようなイメージがあるが、ここでは黒人が黒人を捕らえて奴隷として売っている様子が描かれる。女戦士と言ってもどの程度だったのかはわからない。体力的には男の方が上であるし、ワンダーウーマンならまだしも、人間であれば限界はある。王宮には大奥のような男子禁制エリアがあって、宦官以外の男は入れないというのも興味深い。出てくる宦官はどうもおかまチックである。

物語はナニスカと少女ナウィを中心に描かれる。アゴジ戦士として初めて会った2人だが、実は意外な関係がある事が判明する。否応なく戦いに巻き込まれていくアゴジ。ナウィの成長は戦いによって促される。女戦士というと、おそらく白人ならビジュアルが求められると思うが、黒人だとそこはあまり求められないのか。スーパーヒーローがいるわけでもなく、戦いもかろうじて勝利するという感じ。アクションが売り物という者でもない。

歴史的な史実だったという事が言いたかったのかどうかはわからないが、何が売りだったのかと問われると苦しいようにも思う。ストーリー、出演者、アクションのいずれも中途半端感がある。Amazon primeでは高評価だっただけに期待していたのだが、少々肩透かしを食ったというのが正直な感想。今一歩感が否めなかった映画である・・・


評価:★★☆☆☆








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2024年04月13日

【ピータールー マンチェスターの悲劇】My Cinema File 2841

ピータールー マンチェスターの悲劇.jpeg

原題: Peterloo
2018年 イギリス
監督: マイク・リー
出演: 
ロリー・キニア:ヘンリー・ハント
マキシン・ピーク:ネリー
デヴィッド・ムースト:ジョセフ
ピアース・クイグリー:ジョシュア
ティム・マッキナリー:摂政王太子
ニール・ベル:サミュエル・バムフォード
フィリップ・ジャクソン:ジョン・ナイト
レオ・ビル:ジョン・ティアス

<映画.com>
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「秘密と嘘」「ヴェラ・ドレイク」などで知られるイギリスの名匠マイク・リーが、19世紀初頭のイギリスで起きた事件「ピータールーの虐殺」を映画化。1819年、ナポレオン戦争後で困窮のさなかにあるマンチェスター。深刻化する貧困問題の改善を訴え、政治的改革を求める民衆6万人がセント・ピーターズ・フィールド広場に集まった。鎮圧のため派遣された政府の騎馬隊は、非武装の群衆の中へ突入していく。多くの死傷者を出し、イギリスの民主主義において大きな転機となったこの事件の全貌を、リー監督が自ら執筆した脚本をもとにリアルに描き出す。出演は『007 スペクター』のロリー・キニア、『博士と彼女のセオリー』のマキシン・ピーク。
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冒頭、爆音と銃声が飛び交うのはウォータールーの戦場。ラッパ手の若い兵士ジョゼフは、呆然自失となりながらも任務を遂行する。やがて終戦となり、故郷であるマンチェスターを目指して帰郷する。このウォータールーの戦いにおいて、ウェリントン公爵が指揮を執ったイギリス率いる連合軍はナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍に勝利する。歴史的戦いに勝利したウェリントン公爵に、議会より大金が授与される。後の民衆の苦境と対比すると実に意味深いシーンである。

ウェリントン公爵の補佐であるビング将軍は、内務大臣に功績を認められ、北部の司令官として任命される。その北部では、マンチェスターをはじめ、ランカシャー周辺の町で民衆の抗議活動が活発化している。ジョゼフは何とか故郷マンチェスターへ辿り着くが、安堵からか母親の腕の中で泣き崩れる。ジョゼフの兄弟姉妹、父親の大半は紡績工場で働き、母親は手作りのパイを売って生計を立てており、いずれも生活は楽ではない。

戦争は終わったものの、パンに課せられる税金と不作による価格高騰により民衆の生活は逼迫する。さらに、海外からの輸入制限政策もこれに拍車をかける。生活苦からの軽微な犯罪に対しても、裁判は貴族を優遇し、多くの庶民に対しては過酷な刑を宣言される。民衆の不満は爆発し、抗議運動へと繋がる。抗議運動と言っても平和的なものであり、武器を取るまでには至らない。

穀物法の撤廃に関して、庶民院へ嘆願書を提出したいという申し入れも治安判事により拒否される。そうした動きに運動家のナイトは、国民の選挙権拡充を訴える。また、別の集会では、過激派の運動家たちによる演説が行われ、国王と家族全員を投獄すべきだという過激な意見も飛び出す。マンチェスターの治安判事たちは、こうした事態を危惧し、内務大臣に手紙で危機的な状況だと知らせる。

民衆の運動については、元となっているものが生活苦であり、理解できるもの。しかし、裕福な貴族たちには他人事でしかない。そんな時、時の権力者である摂政王太子の乗る馬車にジャガイモが投げつけられる。事態を重くみた内務大臣は貴族院に報告し、貴族院は人身保護法を即時一時停止してしまう。これを受け、マンチェスターの運動家たちの間では議論が交わされ、聖ピーターズ広場で行われる集会でヘンリー・ハントに演説をしてもらうことを提案する。

ヘンリー・ハントとは、地主であり紳士でありながらも民主主義のために戦う演説家。要請を受けたハントはマンチェスターへとやって来る。ところが手紙を押さえてこの事実を知った内務大臣はビングに対し、軍の強化を要請する。巷では過激派運動家による集会が野外で開かれるようにもなっていて、民衆に武装と王族は処刑を主張する。自由か死かとの呼びかけは過激であり、治安部隊によって逮捕、投獄されるという事態が生じる。

緊張が高まる中、ヘンリー・ハントも現地に到着し、集会の日が近づいていく。映画は、集会が民衆を弾圧した血の集会になっていく様子を丁寧に描く。民衆側は平和裏に行う事を企図し、ヘンリー・ハントも自警のために少数の者に武装をさせたいという提案を断固として拒否する。内務省からも「集会を邪魔してはならない、ハントに演説をさせなければならない、群衆が暴動を起こした時以外で介入をしてはならない」との指示が出されるが人々の間の不信感は止められない。

そして集会が始まる。民衆は平和的な集会と信じ、女性や子供などを含め家族で参加する。ウォータールーの戦いを生き延びたジョゼフも家族とともに参加する。ヘンリー・ハントなど実在の人物に加え、なぜジョゼフのような架空の人物を参加させたのか。それは軍の発砲により混乱に陥った広場の様子が、冒頭のウォータールーの戦場とほぼ同じだからである。なぜ非武装の市民に対し、武力を行使したのか。それはさまざまな要因が重なった結果なのであろう。

他国の不幸な歴史ではあるが、なぜこのような事件が起こってしまったのか。ウォータールーから生還したジョゼフだが、働きたくても仕事がなく、食料などの生活必需品が値上がりして苦しむ市民生活が描かれ、歴史的事件の背景がわかってよけいに事件に対する理解が深まる。家族を亡くして葬儀に臨む市民に対し、摂政王太子は部下の労をねぎらう。実に無情な対比ではあるが、それが歴史の真実なのであろう。フィクションの部分も多くあるのだろうが、どんな事件だったのかというアウトラインはわかる。映画の効能と言える一作である・・・


評価:★★☆☆☆








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2024年01月27日

【最後の決闘裁判】My Cinema File 2807

最後の決闘裁判.jpeg

原題: The Last Duel
2021年 アメリカ
監督: リドリー・スコット
出演: 
マット・デイモン:ジャン・ド・カルージュ
アダム・ドライバー:ジャック・ル・グリ
ジョディ・カマー:マグリット・ド・カルージュ
マートン・チョーカシュ:クレスピン
マイケル・マケルハットン:バーナード・ラトゥール
クライヴ・ラッセル:王の伯父
ベン・アフレック:アランソン伯ピエール2世

<シネマトゥデイ>
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エリック・ジェイガーによる「最後の決闘裁判」を原作に描くミステリー。600年以上前にフランスで行われた、決闘によって決着をつける「決闘裁判」の史実を基に、暴行事件を訴えた女性とその夫、そして被告の3人の命を懸けた戦いを映し出す。『グラディエーター』などのリドリー・スコットが監督を務め、マット・デイモンとベン・アフレックが脚本とともに出演も果たす。ドラマシリーズ「キリング・イヴ/Killing Eve」などのジョディ・カマー、『マリッジ・ストーリー』などのアダム・ドライヴァーらが共演する。
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物語は1380年代のパリで始まる。今まさに2人の男による決闘が始まろうとしている。甲冑に身を固め、馬に乗り、従者から槍を受け取ると互いに対峙し、互いに向かって馬を走らせる・・・

第一章と称して主人公の従騎士のカルージュの視点で物語は語られる。とある橋の防衛を任されたが、地方長官である父の反対を押し切り、川を挟んで対峙した敵の挑発に乗り川を渡って攻め込む。乱戦の中で友人ル・グリの命を助けるが、橋の防衛には失敗して領土を奪われる。どうやら猪突猛進型の人物である。これで地域の支配者ピエール伯の不興を買う。やがてカルージュはロベールの娘のマルグリットと結婚することになる。しかし、持参金の一部だった土地が、ピエール伯の指示でル・グリに与えられる。

これに腹を立てたカルージュは、国王に彼を訴える。訴えは退けられるが、面白くないピエール伯は、長官の椅子をル・グリに与える。当然、長官の地位は父から自分に継がれるものと思っていたカルージュは、非難の矛先をピエールとル・グリに向ける。その後、カルージュとル・グリは旧友の出産祝いの際に和解し、カルージュはル・グリに妻のマルグリットを紹介する。そしてこれが後の2人の対立の原因となる。

その後、カルージュは王の命令により遠征に出る。激戦の末に生還し、その功績により騎士に叙せられる。パリで給金を受け取り帰宅すると、マルグリットからル・グリに強姦されたと告白される。激怒したカルージュは報復を決める。しかし、相手はピエール伯のお気に入りであり、領内で訴えても無駄と判断し、噂を広めることによってル・グリの逃げ道をふさぎ、その上で国王に直訴することにする。そして冒頭の決闘へと繋がる。

ストーリーは簡単だが、第二章ではル・グリの視点で、第三章ではマルグリッドの視点で物語は進む。時に14世紀。現代とはさまざまな点で違いがある。まずはマルグリッドが夫に強姦されたと訴えるが、当時は下手をすればそのまま夫に殺されても文句は言えなかったようである。女性の貞操が重視された時代らしい。マルグリッドはその危険を犯して夫に訴えたわけである。そして妻を愛するカルージュはそれを認めて報復に走るわけである。

また、タイトルに『決闘裁判』となっている。何となく疑問であったが、その理由は映画を観ていくとわかる。当時はキリスト教絶対の時代。裁判といっても論争で決めるのではなく、騎士が選べば決闘で決められる。神は常に正しい者の味方であり、決闘においても神は正しい者の味方をする。すなわち、「勝った方が正しい」。さらにカルージュが負けた場合、マルグリッドは嘘の申し立てをしたとなり、衆目の前で裸にされて火あぶりとなる。何という時代なのだろう。

さらにカルージュとマルグリットの間にはなかなか子供ができない。当時は世継ぎが何よりも重要で結婚の目的でもある。医者の診察を受けるマルグリッドであるが、医師から『セックスの時に頂点に達しないと子供は授かれない』と指摘される。医学の発達していない時代とは言え、そうしたことが信じられていたという点で興味深い。裁判ではマルグリッドは妊娠している。時期的にも強姦された頃と一致しており、ル・グリの子供ではないかと疑われる。そうであれば、「頂点に達していた」ことになり、すなわち合意だったのだろうという理屈である。

大事になったあと、嫁姑関係が悪化していたマルグリットは、義母から強姦の件は黙っていればよかったと非難される。訴えたがゆえに、自分の息子は命を懸けて決闘に臨むことになったという非難である。そして義母は、自分も若い頃に強姦されたが黙っていたと告げる。何気ないシーンだが、当時はそうした事例が多く生じ、みんな泣き寝入りしていたのかもしれないとの思いが脳裏をよぎる。

人権などという言葉のなかった時代。今の常識からは到底考えられない理不尽な時代の物語。元は実在の事件だったようであるが、今の時代に生まれて良かったと思わざるを得ない。主演はマット・デイモンとアダム・ドライバー。見応えたっぷりの一作である・・・


評価:★★☆☆☆







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2023年12月27日

【娼婦ベロニカ】My Cinema File 2787

娼婦ベロニカ.jpeg

原題: A Destiny of Her Own
1998年 アメリカ
監督: マーシャル・ハースコヴィッツ
出演: 
キャサリン・マコーマック:ベロニカ・フランコ
ルーファス・シーウェル:マルコ・ベニエ
オリヴァー・プラット:マフィオ・ベニエ
モイラ・ケリー:ベアトリーチェ・ベニエ
ジャクリーン・ビセット:パオラ・フランコ
ナオミ・ワッツ:ジュリア・デ・レッゼ
フレッド・ウォード:ドメニコ・ベニエ
ジェローン・クラッベ:ピエトロ・ベニエー

<映画.com>
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封建社会で力強く生き抜く女性の愛と官能を描いた文芸ロマン。監督は「みんな愛してる」のマーシャル・ハースコヴィッツ。脚本ハマーガレット・ローゼンタールの自伝を元に新鋭ジェニーン・ドミニーが担当。製作は「恋におちたシェイクスピア」のエドワード・ズウィックとハースコヴィッツ、「パトリシア・アークェットのグッバイ・ラバー」のアーノン・ミルチャン、サラ・キャプラン。製作総指揮は「評決のとき」のマイケル・ネイサンソン、「フィッシャー・キング」のステファン・ランドール。撮影は『ボディ・スナッチャーズ』(V)のボージャン・バゼリ。音楽は「ジキル&ハイド」のショージ・フェントン。美術は『未来世紀ブラジル』 のノーマン・ガーウッド。編集は『戦火の勇気』 スティーヴン・ローゼンブラムと「マスク」のアーサー・コバーン。衣裳は「エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事」のガブリエラ・ペスクッチ。出演は「ブレイブハート」のキャサリン・マコーマック、「ダーク・シティ」のルーファス・シーウェル、「ブルワース」のオリヴァー・プラット、「沈黙の女」のジャクリーン・ビセットほか。
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物語の舞台は1583年のベネチア。商業都市として繁栄していた一方で、女性は男性の所有物とされていた時代である。主人公のベロニカは、その日華やかな高級娼婦が船に揺られて行くのを憧れの眼差しで見つめている。その頃、貴族の友人ベアトリーチェの兄マルコがローマから戻る。再会したベロニカとマルコは互いに惹かれ合うようになる。

やがてベアトリーチェに結婚の話が出る。相手は親ほど年の離れた男で、政略結婚である。ベロニカはショックを受けるが、マルコからもまた身分の違いからベロニカとは結婚はできないと告げられて悲しみに暮れる。そんな娘の様子を見た母パオラは、マルコを手に入れる唯一の方法はかつての自分と同様の高級娼婦になることだと告げる。驚くべきことに、母もかつて高級娼婦だったという。

母はベロニカに高級娼婦としてのイロハを叩き込む。それは身のこなし、しぐさ、教養、男を惹きつける手練手管。やがて全てを身に着けたベロニカのお披露目として母パオラはベロニカを国防大臣に紹介する。貴族らが集う場に現れたベロニカはそこでマルコのいとこマフィオと詩を披露しあう。彼女の美しさと教養は貴族の間でも評判となり、たちまち艦隊総督や司祭など有力者が顧客となる。

美しく磨かれたベロニカにマルコも心を奪われるが、ほどなくしてマルコも家の決めた名家の娘ジュリアと結婚する。そんなある日、詩集を出版することになったベロニカがそのお披露目をしていると、マフィオがかつてベロニカに誘いをすげなく断られたこともあいまって嫉妬から貴族らの面前で彼女を侮辱する。ベロニカは剣でマフィオに決闘を挑みこれを打ち負かすが、マフィオは腹立ちまぎれにベロニカを殴りつける。それを見たマルコは思わずマフィオを殴りつけ、ベロニカを手当てする。

これを機に、マルコとベロニカは体を重ねる。そしてベロニカは他の男と寝るなというマルコの言葉で客を取ることをやめる。その頃、トルコの艦隊がベネチアに攻め入ってくる。ベネチアは、フランスに助力を求めようとフランス王アンリ三世を招く。謁見の場で総督はアンリ三世の要望を受け、えり抜きの高級娼婦たちをアンリ王の前に出すが、彼はマルコと共にいたベロニカに目をつけ、彼女を寝室に呼ぶ。ベロニカは国のためアンリ王に身を任せ、その甲斐あってフランス艦隊を出す約束を取り付けることに成功するが、マルコは耐えらきれずにそのまま戦場へと向かう・・・

娼婦を主人公にした映画というと、真っ先に思い浮かぶのは『プリティ・ウーマン』であるが、この映画は16世紀の娼婦を主人公にした物語。売春は世界で最も古い職業と言われるが、当時のベネチアでは既に娼婦の地位は確立されている。現代でも銀座のホステスはただ美人というだけではなく教養も要求されるらしいが、当時のベネチアも高級娼婦ともなれば体だけではなかったようである。

主人公のベロニカは、なんと母親の手解きを受けて高級娼婦になる。当時、女性は男の所有物とされていたということであり、そこから脱するためには娼婦というのは止むを得ない選択だったのかもしれない。詳しくは説明されないが、ベネチアにやってきたアンリ三世が名高い娼婦を所望する。ひょっとしたらベネチアの娼婦は有名だったのかもしれない。娼婦は女性たち(特に妻たち)から嫌われるが、男も大っぴらに支持できない。それは当時も同じだったようである。

娼婦の愛には悲しい運命が付きまといがち。この物語も同様である。そして宗教裁判が出てくるところも時代を反映している。ベロニカも周りの妻たちから反感を買い、そして宗教関係者や詩の才能からマフィオの恨みも買って窮地に陥る。ペストの流行は魔女の仕業とされ、有罪となれば火炙りの刑となる時代。ラストの宗教裁判はちょっと感動的。男たちも男気を出す。日本でも高級娼婦としては花魁が有名であるが、その負の部分は描かれず、とりあえずロマンティックなストーリーとなっている。

なんとなく観た映画であるが、綺麗な部分だけ見ておきたいと思わされる映画である・・・


評価:★★☆☆☆








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2023年10月20日

【太陽の子】My Cinema File 2761

太陽の子.jpeg

2021年 日本
監督: 黒崎博
出演: 
柳楽優弥:石村修
有村架純:朝倉世津
三浦春馬:石村裕之
イッセー尾形:澤村
山本晋也:朝倉清三
三浦誠己:木戸貴一
國村隼:荒勝文策
田中裕子:石村フミ

<MOVIE WALKER>
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歴史的事実に基づき、日本の原爆開発を背景にした青春群像劇。2020年放送のドラマ版に異なる視点と結末を加えた劇場版。軍から密命を受け原子核爆弾の研究開発を進める修、幼馴染の世津、戦地から一時帰宅した修の弟・裕之は久しぶりの再会を喜ぶが……。出演は、「ターコイズの空の下で」の柳楽優弥、「花束みたいな恋をした」の有村架純、「天外者」の三浦春馬。監督・脚本は、ドラマ『青天を衝け』の黒崎博。音楽は、『愛を読むひと』のニコ・ミューリー。サウンドデザインは、『アリー/スター誕生』のマット・ヴォウレス。
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時に1944年、京都帝都大学物理学研究所の石村修は、とある陶芸家の下を訪ねる。そこである物を受け取り、大事に持ち帰る。それは硝酸ウラン。当時はかなり貴重なものだったと思うが、研究室の仲間や教授らからは喝采を浴びる。既に敗色濃厚な戦時下、研究室は海軍から新型爆弾の開発の密令を受ける。それは原爆。当時、既にもうその理論は各国で共有されていたようであるが、日本でも実際に研究が行われていたようである。この映画は、そんな日本の原爆開発を追った映画である。

研究の中心となったのは荒勝教授。研究員たちは手に入れた硝酸ウランから遠心分離法によりウラン235を取り出す実験に取り掛かる。しかし、それは簡単ではない。遠心分離には回転数10万が必要という計算データが得られたが、研究室の遠心分離機の回転数は1万にも満たない。回転数を上げていくと、遠心分離機自体がその回転に耐えられずに分解してしまう。床に散らばった硝酸ウランを這いつくばって集める修。前途は厳しい。

修が硝酸ウランを入手できたのは、五条坂にある陶器屋の主人・澤村の好意によるものであった。当時こういう形でウランを入手していたというのは(史実通りであれば)興味深い(それでも「軍用最優先」で手配できたようにも思うが・・・)。硝酸ウランは焼き物の釉薬として使用していたらしい。修は当時の人らしく、軍人になるよう教育を受けていたが、科学者の道を選んだようである。その一方で、弟の裕之は陸軍に入隊していた。

修の幼馴染の世津は、祖父との2人暮らしであったが、空襲による火災の延焼を防ぐためであろう家屋の取り壊しを余儀なくされ、修の家に身を寄せることになる。当時は「お国優先」。個人の権利など軽く見られていたのだろう。こうして修、母のフミ、世津とその祖父の4人の生活が始まる。そんな中、裕之が帰郷する。所属部隊の配置換えと、持病の肺病の療養のための帰郷であり、頃合いを見て再び戦地に戻るという裕之を修らは歓迎し、再会を喜ぶ。

物語は原爆開発を縦軸に、そして修と世津と裕之との秘めた思いが交差する関係を横軸に進んでいく。合間に原子爆弾の核分裂の仕組みがわかりやすく解説されるのが物語の理解を助ける。しかし、我々は歴史の結末を知っている。アメリカは国を挙げて原爆の開発に取り組んでいるが、京都大学の研究室の研究は大人と子供ぐらいの差がある。そして修は、硝酸ウランを分けてもらうためにいつものように陶芸家の澤村のもとを訪ねるが、いつも澤村を手伝っていた澤村の娘が、大阪へ納品に行った際に空襲に遭い亡くなったことを知る。何とも言えない後味である。

タイトルである『太陽の子』とは、原爆をイメージしてのものだろう。そしてとうとう広島に原子爆弾が落とされる。修は荒勝教授らと共に広島を訪れ、原爆被害の調査を始めるが、「先を越された」という無念は大きなものであっただろう。驚いたのは、次に原爆が落とされるのは京都だという噂を聞いた修は、家族に避難するよう伝えるとともに、自らは比叡山に登り、科学者として京都で原爆が爆発するのを観察すると言い出したこと。史実がどうかはわからないが、物語として修の思いが心に響く。

主演は、一癖のある柳楽優弥。この人の出演映画なら観てみる価値は高いと個人的には考えている。この映画はその期待に十分応えてくれる。あれこれと史実を思い浮かべながら観ることができるこの手の歴史映画は、個人的には好きなジャンルとも言える。そういう意味でも楽しめた映画である・・・


評価:★★☆☆☆








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