
2023年 日本
監督: 和田圭介 三原光尋
出演:
アントニオ猪木(アーカイブ映像)
有田哲平
アビッド・ハルーン
海野翔太
オカダ・カズチカ
神田伯山
棚橋弘至
原悦生
藤波辰爾
藤原喜明
安田顕
<映画.com>
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プロレスラー、実業家、政治家として伝説的なエピソードを持ち、2022年10月に79歳でこの世を去ったアントニオ猪木のドキュメンタリー。「馬鹿になれ!」「元気ですか!?」など、誰もが一度は耳にしたことのある数々の「言葉」を残してきた猪木。その「言葉」を切り口に、アントニオ猪木という人物の真の姿に迫っていく。
映画は、猪木に影響を受け、猪木を追い続けるさまざまなジャンルの人物の、それぞれの視点から見た猪木像を語るドキュメンタリーパートのほか、80 年代に猪木ファンとなった少年が、猪木の「言葉」から力をもらいながら過ごした90年代の青春、2000年代の中年期の人生を描く短編ドラマパート、そして猪木本人の貴重なアーカイブ映像とスチール写真という3つの要素で構成。それぞれの内容から、プロレスラー・アントニオ猪木、そして人間・猪木ェ至を立体的にひも解いていく。
ドキュメンタリーパートにはお笑い芸人の有田哲平、プロレスラーのオカダ・カズチカ、俳優の安田顕ら多彩な顔ぶれが出演。短編ドラマパートではプロレスラーの田口隆祐と後藤洋央紀が出演する。ナレーションと主題歌を福山雅治が担当。
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小学校6年からプロレスを観ながら成長した身としては、アントニオ猪木のドキュメンタリーとなると観ないわけにはいかない。そんな理由から鑑賞に至る作品。
映画はその生い立ちから追う。1943年、横浜の裕福な家庭に生まれた猪木寛至は、1957年に一家でブラジルへ移民する。今もまだ現地にいる当時の事を知る人たちを訪ねて行く。コーヒー農園で働き、サンパウロの中央市場ではその体格を生かし、ケースをいくつも担ぎ上げていたという。そこで力道山にスカウトされたのは有名な話。1960年17歳でデビューするが、当時の話はジャイアント馬場との関係も含めて省略される。
そして1972年、新日本プロレスを旗揚げ。今も残る新日本プロレスの道場は当時のアントニオ猪木の自宅の一角。大田区総合体育館での旗揚げ試合については藤波辰爾が振り返る。大手のスポンサーがついているわけでもなく、倍賞美津子や倍賞千恵子も宣伝カーに乗って総動員で手作業で準備をする。翌年にはテレビ放送が始まり、70〜80年代に空前のプロレスブームを起こし、1976年6月26日には格闘技世界一決定戦と称してモハメド・アリとの異種格闘技戦が日本武道館で行われる。
猪木アリ戦については、藤原喜明が「すごい緊張感があった。負けたらプロレス界から抹殺されるような空気感だった」と当時を振り返る。そしてパキスタンでのアクラム・ペルーワン戦となる。パキスタン大統領も観戦し、7万人の観客が見守る中、猪木はペールワンの肩を締め上げて脱臼させる。「折ったぞー!」と叫び腕を突き上げる猪木の映像を見ながら、「俺たち生きて帰れないな」と藤原は思ったそうである。当時33歳、そんな危険と背中合わせの試合をしたのは、アリ戦で負った借金が理由だそうである。
藤波が語るには、八百長論に猪木は敏感で、プロレスの地位を向上への意識を常に持っていたという。「あの人ほどの演出家はいない。試合前、準備運動しながら、モニターを見ながら、選手の顔色、どんな絵が映るか、会場の空席をチェックする。空いている席があったら営業を呼んで『客を回せ』と指示を出していた」というのは、意外な一面。「徹子の部屋」に出演した猪木が「魅せる要素と戦う要素の難しさがある」と話す映像も興味深い。
本編には様々な人物が登場する。神田伯山は1987年10月4日の「巌流島の戦い」の講談を無観客の巌流島で披露している。選手の大量離脱、自身の離婚問題、事業もうまくいかない中、起死回生の一発として行われたマサ斎藤との死闘は、「時間無制限」「無観客」「ノールール」というもの。伯山は、猪木を評して「発想もなにもかも先駆者である」とし、「すごいことをしているのに過小評価されている」と語る。
俳優の安田顕は写真家の原悦生との対談を行う。お笑い芸人の有田哲平は棚橋弘至との対談を行う。棚橋については2002年2月1日の札幌大会での猪木問答が流れる。さらに棚橋は新日本プロレスの道場にかかっていた若かりしアントニオ猪木の等身大パネルを外させたという。そんな対談に加え、3部のドラマが合間合間に流れる。8時からのテレビ中継に熱中していた少年時代。猪木の言葉で友人を励ます高校生。そしてベイダーに苦戦し、リングでもがく猪木に拳を握りしめる中年男・・・
ストロング小林戦を制した猪木が語る。「一生懸命戦っても負けることもある、これは宿命なんですね。10年保つ選手生活、1年で終わってしまうかもしれない。しかし、それがファンに対しての我々の義務だと思う。誰が挑戦しても、私が勝てない相手がいるかもしれない、なかには。しかし、私はいつ何時でも受けて立つ、それで負けても悔いはない。そういうつもりです」今聞いてもなかなか深い言葉である。それはプロレスだけに当てはまるものではないように思う。
アントニオ猪木のプロレスを夢中になって観てきたから面白いと思うのは間違いない。何も知らない人が観ても面白くないかもしれない。アントニオ猪木のドキュメンタリーではあるが、それだけではない。自分自身も熱中したあの頃が懐かしく思い起こされる一作である・・・
評価:★★☆☆☆