
2023年 日本
監督: 山崎貴
出演:
神木隆之介:敷島浩一
浜辺美波:大石典子
山田裕貴:水島四郎
青木崇高:橘宗作
吉岡秀隆:野田健治
安藤サクラ:太田澄子
佐々木蔵之介:秋津清治
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日本が生んだ特撮怪獣映画の金字塔「ゴジラ」の生誕70周年記念作品で、日本で製作された実写のゴジラ映画としては通算30作目。『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズをはじめ『永遠の0』「寄生獣」など数々の話題作を生み出してきたヒットメーカーの山崎貴が監督・脚本・VFXを手がけた。
タイトルの「−1.0」の読みは「マイナスワン」。舞台は戦後の日本。戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現する。ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす。戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。
主演を神木隆之介、ヒロイン役を浜辺美波が務め、NHK連続テレビ小説「らんまん」でも夫婦役を演じて話題を集めた2人が共演。戦争から生還するも両親を失った主人公の敷島浩一を神木、焼け野原の戦後日本をひとり強く生きるなかで敷島と出会う大石典子を浜辺が演じる。そのほかのキャストに山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、 佐々木蔵之介ら。2023年12月にはアメリカでも公開され、全米歴代邦画実写作品の興行収入1位を記録するなど大ヒットを記録。第96回アカデミー賞では日本映画として初めて視覚効果賞を受賞するという快挙を達成した。第47回日本アカデミー賞でも最優秀作品賞ほか同年度最多8部門の最優秀賞を受賞した。
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ここのところ「ゴジラ映画」がいろいろと創られている。ハリウッド版の『GODZILLA ゴジラ』(My Cinema File 1478)とか『シン・ゴジラ』(My Cinema File 1795)とかである。子供の頃に観ていたゴジラシリーズは、「ゴジラ対〇〇」といったもので、ゴジラは正義の味方というイメージであったが、近年は元に戻って「害獣」的な存在となっている。そんなゴジラの最新作。タイトルに「−1.0」とついているのが特徴。最近は「2.0」とか「3.0」とかの表示をよく見るが、「−」というのは初めて。その意味は観ていくうちにわかってくる。
時に1945年、第二次世界大戦の末期。1機の零戦が大戸島の守備隊基地に着陸する。どうやら特攻作戦に参加したものの、機体の不具合で緊急着陸したようである。パイロットは敷島浩一。爆弾を装着したまま整備されていない凸凹の滑走路に着陸し、基地所属の整備班リーダー橘宗作からその腕前を褒められる。しかし、橘はまた点検の結果、機体に故障個所が見当たらないため、敷島に不信感を持つ。
その日、なぜか海面に深海魚が多数浮かび上がっているのが目撃される。島の言い伝えではそんな日はゴジラが出ると言う。その夜、夜の海から突然恐竜のような生物が現れる。慌てて撃退しようとするが、整備兵中心の守備隊はなす術もない。橘は零戦の20mm機銃でゴジラを撃つように敷島に頼むが、恐れをなした敷島は引き金を引けず、整備班はリーダーの橘を残して全滅する。やがて終戦となり、引上げ船の中で、敷島は橘から整備班の持っていた家族の写真を押し付けられる。
日本に帰国した敷島は焦土と化した東京に愕然とする。ようやく帰り着いた自宅は焼け落ちており、隣人の太田澄子から両親ともども死亡したことを知らされる。なんとか暮らし始めた敷島だが、ある日闇市で誰かから逃げてきた女から赤ん坊を押し付けられる。女は姿を消し、敷島は途方にくれるが、やがて逃げ切って戻ってきた女と再会する。おんなは大石典子と名乗る。同じように空襲で両親を失った典子は行くあてがなく、敷島の家(といっても焼け跡に建てたバラック)に転がりこむ。
敷島は2人を養うために復員省から紹介を受けた磁気式機雷の撤去の仕事を受ける。危険が伴うゆえに高給の仕事であるが、そこで木製の掃海艇の乗組員である水島四郎と元技術士官の野田健治、船長の秋津C治と出会う。時は1945年から1946年、1947年へと移っていく。給料を溜めた敷島は家を改装し、典子と子供の明子と生活も安定している。ただ、典子とはまだ他人のままで、典子は敷島の足手まといにならないよう自立しようとして銀座で事務員の仕事を見つけてくる。その頃、ビキニ諸島では米軍による原爆実験が行われる・・・
『シン・ゴジラ』(My Cinema File 1795)では、ある時突然海からゴジラ(の幼獣?)が現れたが、ここではまだ小型のゴジラが登場し、それがどうやら米軍の核実験で被爆した事により巨大化する。そしてゴジラは日本へ向かう。その途中で駆逐艦を沈めるが、当時はソ連との関係性が悪化していたため、米軍は軍事行動を起こせず、日本が単独でゴジラに対処するようことになる。敗戦後でろくな軍事力も兵員もない日本がどうゴジラに太刀打ちするのか。それが1つの見どころになる。
キーを握るのは、ゴジラとの遭遇から悪夢にうなされ、トラウマを抱える敷島。そしてついに日本に上陸するゴジラ。機転を利かせて機雷でゴジラの顔半分を吹き飛ばすことに成功するも、ゴジラは恐るべき再生能力で回復する。ゴジラと言えば東京タワーであるが、この時代、まだ東京タワーは建設されていない。変わりに向かったのが銀座。そして当時の銀座のシンボル的存在であったのは、空襲でも被害を免れた日本劇場。それが無残にも破壊される。
ゴジラの基本的能力は同じで、尻尾から背びれが青く輝き、口から猛烈な熱線を吐き出す。その再生能力とあちこちで肉片をまき散らす様子がラストへの伏線になる。戦力が乏しい中、自然の海の力を利用した作戦。そしてトラウマを負った敷島の行動。局地戦闘機「震電」の存在は知っていたが、その姿は戦闘機が逆向きに飛んでいるかのようであり、このアイディアは素晴らしいと思う。どうしても「ゴジラ退治」に主眼が置かれがちではあるが、人間ドラマも丁寧に描かれ、物語の世界に引き込まれる。
『シン・ゴジラ』(My Cinema File 1795)とはまた違った趣が溢れるこの映画。やはりハリウッドには真似のできないものを感じる。思わせぶりなラストはただの余韻なのか。ちょっと気になった映画である・・・
評価:★★☆☆☆