2024年06月21日

【ロケットマン】My Cinema File 2868

ロケットマン.jpg

原題: Rocketman
2019年 イギリス・アメリカ
監督: デクスター・フレッチャー
出演: 
タロン・エガートン:エルトン・ジョン
ジェイミー・ベル:バーニー・トーピン
ブライス・ダラス・ハワード:シーラ
リチャード・マッデン:ジョン・リード

<シネマトゥデイ>
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「Your Song/ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」などで知られるミュージシャン、エルトン・ジョンの半生を描いた伝記ドラマ。主演は『キングスマン』シリーズなどのタロン・エジャトン、共演に『リヴァプール、最後の恋』などのジェイミー・ベル、『ジュラシック・ワールド』シリーズなどのブライス・ダラス・ハワードらが名を連ねる。『キック・アス』などのマシュー・ヴォーン監督とエルトン・ジョン自身が製作を務め、『サンシャイン/歌声が響く街』などのデクスター・フレッチャーがメガホンを取った。
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エルトン・ジョンと言えば、イギリスのシンガーだという事は知っていたが、代表曲を知っているわけでもない。されどなんとなく興味があったこともあり、自伝映画である本作の鑑賞に至る。初めに奇抜なオレンジ色の悪魔を模したコスチュームを着たエルトン・ジョンが扉を開けて入ってきたのは、依存症の互助会。そして自らアルコール、コカイン、そして性依存や買物中毒等自分が抱える問題を参加者の前で明かす。成功して大金を手にした人によくありがちな事である。

エルトン・ジョンは、時間はどのくらいかかるのかと問う。それに対し、会の進行役は「あなた次第だ」と答え、どんな子供時代だったのかと訊く。そして物語はエルトン・ジョンの子ども時代へと飛ぶ。エルトン・ジョンの本名はレジナルド・ドワイト(レジー)であり、母シーラと軍人の父スタンリー、そして祖母アイヴィと一緒に暮らしている。シーラは派手好きで上流階級に憧れる主婦、スタンリーは兵役で家を留守がち。夫婦仲は悪く、幼いレジーに目を掛けてくれたのは唯一アイヴィだけであった。

そんなある日、ラジオから流れる『スケーターズ・ワルツ』を聴いたレジーは、楽譜無しでメロディをピアノで弾きはじめる。それを見たアイヴィは、孫に音楽の才能があることを見抜き、ピアノの個人レッスンを受けることを勧める。音楽に夢中になったレジーは、オーケストラを指揮し、ピアノで伴奏する自分を想像しながら練習に励む。しかし、父親は厳格でレジーに甘えを許さず、レコードに興味を示したレジーに「触るな」と怒鳴る始末。両親の愛情が少ない家庭である。

11歳になったレジーは、ピアノの先生から王立音楽院のオーディションを受けるよう勧められる。両親は面倒くさがるが、アイヴィがレジーをオーディション会場に連れていく。レジーが会場へ入って行くと、試験官が『トルコ行進曲』を弾いていたが、レジーに気づいて途中でやめる。そして試験官から弾いてみるよう促されたレジーは、『トルコ行進曲』を試験官が弾くのを止めたところまで弾く。演奏をやめた理由を(試験官が)「そこまでしか弾かなかったから」と答えるレジー。その才能はすぐれたものだったのだろう。

その後、両親は離婚する。そしてある日レジーはエルヴィス・プレスリーのレコードをもらう。これが大きな転機となり、ロックに大きな影響を受けたレジーは仲間と一緒にバンドを組み、音楽活動を始める。そのバンドに声が掛かり、アメリカのミュージシャンが興行に訪れた際のバックバンドとして雇われる。どうすれば音楽で成功するのかと尋ねたレジーは「生まれた自分を捨てることだ」と教えられ、バンドメンバーのエルトン・ディーンに、これからエルトンと名乗ると告げる。

さらに音楽の才能を募る広告を見たエルトンは、音楽出版社を営むディック・ジェームスの事務所を訪ねていく。そこでレイという男の面接を受けたレジーは、即興でピアノを披露するが、歌詞がない。実はレジーには歌詞作りが難しい。そんなレジーに、レイは歌詞を渡して曲を作るように言う。そして名前を訊かれたレジーは、その場に飾られていたビートルズの写真を見て、エルトン・ジョンと答える。エルトン・ジョンの名前がジョン・レノンから来ているのは初めて知った事である。

この時、渡されたのが作詞家バーニー・トーピンの書いた『Border』。連絡を取って会った2人は直ぐに意気投合する。こうしてバーニーが詩を書き、エルトンがそれに合せて曲を作るという関係が生まれる。ディックとレイからジョン・レノンとポール・マッカートニーが一緒に住んで音楽を作っているように一緒に住めと言われ、エルトンとバーニーもアパートを借り、曲作りに励む。エルトンは大家の女性と付き合うようになるが、どこか心の中に違和感を抱える。そして仲間に指摘され、エルトンは自身が同性愛者だと気づく・・・

名前しか知らなかったエルトン・ジョンの物語はなかなかドラマチックである。ミュージカルのように展開されるストーリー。随所に流れるエルトン・ジョンの曲は聞いた事があるものもある。それを聞いているだけでも心地よい。そして成功の階段を駆け上がっていく物語は心躍るものである。しかしながら成功者はどこかで食い物にされ、足を踏み外す。『エルヴィス』(My Cinema File 2731)でもそうであったが、エルトン・ジョンも恋愛関係にあった男をマネージャーにしてお金を搾取される。

酒とドラッグに溺れ、周囲のアドバイスも耳に入らない。そんな中でもバーニーとの関係がずっと続いたのはエルトン・ジョンにとっては良かったのだろう。そんなエルトン・ジョンの自伝として観るもよし、音楽を楽しむのもよし。どちらも楽しめる。観終わってあらためてYouTubeで映画の中に出てきた曲を聴く。観終わったあとも楽しめる映画である・・・


評価:★★★☆☆









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2023年08月12日

【エルヴィス】My Cinema File 2731

エルヴィス.jpeg

原題: Elvis
2022年 アメリカ
監督: バズ・ラーマン
出演: 
オースティン・バトラー:エルヴィス
トム・ハンクス:トム・パーカー大佐
ヘレン・トムソン:グラディス
リチャード・ロクスバーク:ヴァーノン
オリヴィア・デヨング:プリシラ
ヨラ:シスター・ロゼッタ・サープ
ションカ・デュクレ:ビック・ママ・ソーントン/ペンテコステ派シンガー
アルトン・メイソン:リトル・リチャード
ケルヴィン・ハリソン・Jr:B.B.キング
ゲイリー・クラーク・Jr:アーサー・“ビッグ・ボーイ”・クルーダップ
デヴィッド・ウェンハム:ハンク・スノウ
ルーク・ブレイシー:ジェリー・シリング
ディカー・モンゴメリー:スティーブ・ビンダー
コディ・スミット=マクフィー:ジミー・ロジャース・スノウ

<映画.com>
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「キング・オブ・ロックンロール」と称されるエルビス・プレスリーの人生を、『ムーラン・ルージュ』 『華麗なるギャツビー』のバズ・ラーマン監督のメガホンで映画化。スターとして人気絶頂のなか若くして謎の死を遂げたプレスリーの物語を、「監獄ロック」など誰もが一度は耳にしたことのある名曲の数々にのせて描いていく。
ザ・ビートルズやクイーンなど後に続く多くのアーティストたちに影響を与え、「世界で最も売れたソロアーティスト」としてギネス認定もされているエルビス・プレスリー。腰を小刻みに揺らし、つま先立ちする独特でセクシーなダンスを交えたパフォーマンスでロックを熱唱するエルビスの姿に、女性客を中心とした若者たちは興奮し、小さなライブハウスから始まった熱狂はたちまち全米に広がっていった。しかし、瞬く間にスターとなった一方で、保守的な価値観しか受け入れられなかった時代に、ブラックカルチャーを取り入れたパフォーマンスは世間から非難を浴びてしまう。やがて故郷メンフィスのラスウッド・パークスタジアムでライブを行うことになったエルビスだったが、会場は警察に監視され、強欲なマネージャーのトム・パーカーは、逮捕を恐れてエルビスらしいパフォーマンスを阻止しようとする。それでも自分の心に素直に従ったエルビスのライブはさらなる熱狂を生み、語り継がれるライブのひとつとなるが……。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」などに出演したオースティン・バトラーがエルビス・プレスリー役に抜てきされ、マネージャーのトム・パーカーを名優トム・ハンクスが演じる。第95回アカデミー賞では作品賞、主演男優賞ほか計8部門にノミネートされた。
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1972年のアメリカ、ネバダ州ラスベガス。ショーの開幕を控えていたエルヴィス・プレスリーが、卒倒する。マネージャーのトム・パーカー大佐は、エルヴィスの体調を気遣う前にショーはキャンセルできないと、主治医に治療を指示する。なんだかいきなり冷酷なシーンからの幕開けである。そして場面は1997年のラスベガスへと飛ぶ。87歳となった大佐が病院に運ばれる。ニュースメディアでは、大佐を“天性の詐欺師”と呼んで批判するが、本人はそれを強く否定する。目を覚ました大佐が意識朦朧とする中で、エルヴィスとのこれまでを語り出して物語はスタートする。

時に1953年の夏。カントリー・アンド・ウェスタンの人気シンガー、ハンク・スノウのマネージャーを務めていた大佐は、ハンクの息子ジミーが聴くラジオから流れる、リズム・アンド・ブルースに耳を傾ける。てっきり黒人歌手かと思ったが、白人と知って驚く。歌っていたのが青年エルヴィス。双子として生まれるも兄のジェシーは生後間もなく亡くなり、母グラディスの愛情を受けて育つ。しかし、父親が事業に失敗したため、貧困層の黒人が多いテネシー州メンフィスへと引っ越し、そこで育つ。これが大きく役に立つ。

ゴスペルやブルースといった黒人音楽に触れ、その音楽性を養ったエルヴィスは、やがて母グラディスへのプレゼントとしてバラード曲を吹き込んだレコードをきっかけに、歌手としてデビューする。大佐が生のエルヴィスを初めて見たのは、ハンクが出演したショーの前座としてステージに立った時。歌いだしたエルヴィスの圧倒的な歌唱力と官能的な腰の動きを伴った『ザッツ・オールライト』が特に女性観客を魅了する。これに目を付けた大佐は、ハンクの巡業ツアーにエルヴィスを帯同することにする。

エルヴィスのおかげでツアーは女性ファンが急増するが、当然主役のハンクは面白くない。そこで大佐は内々でエルヴィスに接触し、大手レコード会社RCAビクターと独自契約するようアドバイスする。エルヴィスの両親は素性不明の大佐に不信感を抱くも、大佐はプレスリー・エンタープライズを設立し、経営者に両親を据えることで信用を得る。そしてエルヴィスは、次々とヒット曲を重ね、映画界にも進出し、メンフィス郊外に豪邸を建てるほどになる。

エルヴィス・プレスリーはあまりにも有名であるが、個人的にはビートルズの方に傾倒していたこともあり、あまりその人となりを知らない。派手な衣装と分厚いもみ上げの印象くらいである。そんなエルヴィス・プレスリーの自伝的映画であり、それだけで興味深い。その生い立ちから黒人音楽がベースにあり、さらに下半身を使った独自のパフォーマンスに女性が夢中になったからか、大バッシングを浴びる。今では何でもない事だが、保守的で人種差別の根強い南部だったからかもしれない。

前半はこうした周囲との軋轢に対する対抗だが、後半は大佐との対立に焦点が当たる。エルヴィスは歌のヒットによって成功を収め、多大な収入を得るが、その50%が大佐への支払に当てられる。エルヴィスは大佐と手を切ろうとするが、大佐は巧妙に立ち回ってこれを排除する。軍隊に入隊し、結婚し、個人的には知らなかったが、映画にもかなり出演していたという。成功者の常なのか、莫大な収入は私生活の破綻を招く。キング牧師やロバート・ケネディ上院議員が暗殺される暗い世相が背景に伝えられる。

冒頭のシーンはそんな後期のエルヴィスを描いたものである。この映画では大佐はあくどい男として描かれ、エルヴィスはうまく利用されてしまったように映る。カジノで作った借金を帳消しにしてもらうために、海外公演を破棄させてエルヴィスをラスベガスのホテルとの契約に縛るところは確かにあくどい。そして晩年は必ずしも幸せだったのかはわからず、1977年にエルヴィスは心臓発作で42歳という若さで世を去る。

大佐によるエルヴィスへの金銭的搾取は、エルヴィスの死から数年経った後、一連の訴訟で明らかになったというが、その詳しい顛末まではわからない。エルヴィス・プレスリーは、世界で最も成功したソロ・アーティストとしてギネスにも公認されているという。好みの問題もあって、あまり好きなアーティストではないが、映画自体は興味深いものである。自伝という意味でも映画はいいものだと思わせてくれる一作である・・・


評価:★★☆☆☆








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2023年04月28日

【歌え!ロレッタ愛のために】My Cinema File 2681

歌え!ロレッタ愛のために.jpeg

原題: Coal Miner's Daughter
1980年 アメリカ
監督: マイケル・アプテッド
出演: 
シシー・スペイセク:ロレッタ・リン
トミー・リー・ジョーンズ:ドゥーリトル・“ムーニー”・リン
ビヴァリー・ダンジェロ:パッツィ・クライン
レヴォン・ヘルム:テッド・ウェブ(ロレッタの父)
フィリス・ボーエンズ:クララ・ウェブ(ロレッタの母)
アーネスト・タブ本人:アーネスト・タブ
ボブ・ハンナ:チャーリー・ディック
ビリー・ストレンジ:スピーディー・ウェスト

<映画.com>
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現代アメリカのポップス界で、シンガー・ソングライターとして人気のあるロレッタ・リンの生いたちから、結婚、出産を経て歌手として成功するまでの波乱の半生を描く。製作総指揮はボブ・ラーソン、製作はバーナード・シュワルツ、監督は「アガサ 愛の失踪事件」のマイケル・アプテッド、ロレッタ・リンとジョージ・ベクシーによるリンの自伝を基にトム・リックマンが脚色。撮影はラルフ・ボード、音楽はオーエン・ブラッドレー、編集はアーサー・シュミット、製作デザインはジョン・W・コルソが各々担当。出演はシシー・スペイセク、トミー・リー・ジョーンズ、ビバリー・ダンジェロ、レボン・ヘルム、フィリス・ボーエンズなど。
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著名人の自伝映画は珍しいものではない。個人的には好きなので割と選んで観る方である。この映画はアメリカのシンガー。これまでも歌手としてはエディット・ピアフ(『エディット・ピアフ〜愛の賛歌〜』(My Cinema File 360))があったが、ここで登場するのはロレッタ・リン。何となく名前は聞いたことがあるが、何か一つでも曲を知っているかと言えばそうでもない。歌を聞けば、カントリー・ソングの分野のようである。

そのロレッタ・リンであるが、ケンタッキー州の炭鉱夫の娘として生まれる。原題はまさにそれを表している。両親と弟妹とで総勢10人の家族で暮らしている。冒頭、炭鉱から煤で真っ黒になった顔で戻ってきた父が給料を受け取り、家族のために買い物をする。そこへドゥーリットル(東京を爆撃した男かと一瞬思う)という若者がジープに乗って町にやってくる。軍隊上がりのドゥーリットルは、町で見かけたロレッタに一目惚れする。

そんなロレッタは14歳。誕生日の記念にドレスをプレゼントされたロレッタは、町のパーティに参加する。それぞれにパイを焼いて持参し、それを男たちが入札で落とすというのも面白い。そしてドゥーリットルが競争を制してロレッタのパイを落札する。砂糖と塩を間違え、味はひどいものであったが、ドゥーリットルは見事ロレッタのハートを射止める。そして世間知らずのロレッタは、たちまち年上のドゥーリットルに夢中になる。このあたりは熱しやすい若者の特徴である。

ロレッタの両親は、ドゥーリットルと毎日一緒に過ごすロレッタのことを案じる。それも無理からぬことである。そしてとうとうドゥーリットルはロレッタに結婚を申し入れる。それも翌日に結婚しようというもの。ロレッタは喜びながらも父親に話してくれと伝える。すぐに父親に話をするドゥーリットルだが、父は返事をためらい、母親に話せと言う。すると母は父親に言えと言う。互いに逃げ腰の二人だが、業を煮やしたドゥーリットルは、二人のベッドに押しかけて了承を迫る。やむなく、父は「決して殴らないこと」、「遠くでは暮らさないこと」を条件に渋々結婚を許す。

さっそく結婚した二人だが、時にドゥーリットルが20歳、ロレッタは15歳になる前である。初夜を迎えた二人だが、ロレッタはまだ幼く、初夜の何たるかもよくわかっていなかったかのごとし。ロレッタは料理も満足にできず、たちまち喧嘩となり、ロレッタは家を追い出されてしまう。結婚とはかくも現実であり、決して恋愛の延長ではないのである。しかし、ロレッタはすでに妊娠しており、ドゥーリットルの許に戻る。しかし、ドゥーリットルはケンタッキーを離れてワシントン州の牧場で働くと言う。故郷に残されたロレッタだが、しばらくしてドゥーリットルの元へ向かう。

時は流れ、いつしかロレッタはドゥーリットルとの間に4人の子供を儲け、広大な敷地で家族仲良く暮らしていた。結婚記念日を迎え、ドゥーリットルは結婚指輪を欲しがるロレッタにふと思いついてギターを贈る。それまでしばしばロレッタの歌を聞いていたドゥーリットルのこの思いつきがロレッタの運命を変える。ロレッタはその日から家事の合間に独学でギターを学び、ラジオから聞こえる曲を練習した。さらにドゥーリットルは、町のパブにロレッタを連れて行き、そこで演奏しているバンドにロレッタを売り込む。最初は恥ずかしがっていたロレッタだったが、彼女がステージで歌うと客は聞き惚れる。

人間、何がきっかけになるかわからない。やがてドゥーリットルは、レコードの制作に入り、レコードが完成すると近隣のラジオ局にそれを送って売り込む。当時のアメリカの地方のラジオ局は本当に小さな一軒家のような建物であり、そこに直接売り込んで行く姿は実にのどかである。考えてみれば、4人の子持ち女性がヒットチャートを上って行くのだから本当に実力だけで勝負したという感がある。途中で衝突はするものの、ドゥーリットルの存在なくしてはロレッタ・リンの成功もなかったわけで、伴侶に恵まれたというしかない。

ステージ・ハズバンドとなったドゥーリットルは、酒場で「女房に稼いでもらっていいご身分だ」と嫌味を言われ喧嘩になる。どうしてもそういう見方は避けられないが、まだ女性の地位が低かった時代に妻の才能を開花させたドゥーリットルこそがこの物語の立役者のように思う。そんなドゥーリットルを演じるのは、「ボス」のトミー・リー・ジョーンズ。さすがに40年前だから若い若い。ロレッタを演じたシシー・スペイシクも懐かしい女優さんである。ロレッタ・リンについてはほとんど知らなかったが、名前の知られている映画だけに一度は観ておきたいと思ったもの。一人のシンガーの物語として観る価値はあった。

若かりし頃のトミー・リー・ジョーンズとシシー・スペイシクを観るだけでも価値ある一作である・・・


評価:★★☆☆☆








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2023年03月17日

【いしゃ先生】My Cinema File 2663

いしゃ先生.jpeg
 
2015年 日本
監督: 永江二朗
出演: 
平山あや:志田周子
榎木孝明:父・志田荘次郎
池田有希子:母・志田せい
長谷川初範:高橋校長
上野優華:幸子
竹子:白崎映美
鉄蔵:中本哲也
友蔵:石澤智幸

<映画.com>
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戦前戦後の混乱期に、無医村だった山形県大井沢村(現・西川町大井沢)で生涯を医療にささげ、「仙境のナイチンゲール」とも呼ばれた女性医師・志田周子(ちかこ)さんの人生を、平山あや主演で映画化。山形県の農村で名家の娘として生まれた周子は、努力して東京女子医専(現・東京女子医大)に入学し、医師になった。父からの「スグカエレ」という電報を受けて8年ぶりに故郷に戻った周子は、父・荘次郎が勝手に周子名義で診療所を建設していることを知る。無医村の大井沢村に医師を置きたいと願っていた父は、代わりの者を見つけるまでの3年間だけでも、村で医者をしてほしいと周子に頭を下げる。未熟な自分に診療所の医師が務まるのか不安だった周子も、父の頼みを聞き、3年間だけ頑張ろうと心に決める。2015年11月、山形県で先行公開。
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時は昭和10年秋。ところは山形県の大井沢村。1人の女性が村へやってくると、見下ろす丘の上に立つ。それが主人公の志田周子、26歳。周子は久しぶりの帰郷で、一家団欒の席で、さっそく父に呼び戻された理由を問う。どうやら電報ですぐ帰れとだけ伝えたらしい。まぁ、明日にでもと話をそらす父に、周子は食い下がる。急に呼び戻されれば何事かと気になるだろう。言いにくそうな父がようやく語った内容は、この村に戻って診療所を開いてほしいというものであった。既に周子の名前で診療所開設の許可も取り、着工式も済んだと言う。

周子の父、荘次郎は村長をしており、無医村の大井沢町に医者を迎えるのは長年の悲願だという。周子に「3年だけお前の人生をくれ」と言って頭を下げる父。3年待てば代わりの医者を見つけると言う。わざわざ父親に、私欲のない頼み事をされると弱いものがある。その夜、周子は1枚の写真をじっと見つめ思案する。どうやら東京には残してきたものがあるようである。そして次の日の朝、周子は荘次郎に3年間だけ頑張ると告げる。

やがて大井澤診療所の開院の日を迎える。看板を取り付け、周子の着任1日目が始まる。しかし開院当日、待てど暮らせど患者は現れない。さらにその次の日も、また次の日も患者は来ない。やむなく周子は往診へと繰り出す。しかし、村人はみな周子を避ける。そこには、ワインレッドのワンピース姿を「裸みたいな恰好」と見なす当時の感覚と、医者に払う金などないという貧しい農民の生活事情がある。医者よりも神社の御札の方が信頼されていた時代である。

その間、周子は伊藤英俊という男性と手紙のやり取りを続ける。東京に残してきた心残りである。伊藤から送られた百合の球根を周子は診療所脇の花壇に植える。周子の記念すべき最初の患者は、村の老婆。家族が背負って診療所に運び込む。意識を失っていた老婆を蘇生させた周子。これを機に、少しずつ患者が増えていく。しかし、「お金のことは気にするな」と言っていたこともあり、治療費はなかなかもらえない。そんな周子を父は理解するが、村長とは言え、荘次郎の家計も診療所を建てるにあたって大金が必要だったこともあり、楽ではない。

主人公の志田周子は、実在の医師だとのこと。この映画は、長年無医村の村に赴任し、地域医療に貢献した主人公の功績を追ったもの。東京に好きな男を残し、わざわざ医師として開業したのに、村人はお札の方を信じる始末。とてもやってられない状況であるが、父の思いもあり医師を続ける周子。当時の家族関係や今とは違う考え方もあったのかもしれない。自分だったらすぐに東京に戻るかもしれない。

さらに周子は医師とは言え、まだ26歳の駆け出し。それが1人医師となればあらゆる病気と対面しなければならない。ある日の吹雪の晩、緊急で往診してみれば盲腸の疑いがある青年。さすがに村では手術ができない。至急人を集めて隣町左沢(あてらざわ)の病院まで運ぶことになる。雪道をリアカーでの運搬はなかなか大変である。しかし、そんな努力も虚しく、青年は途中で息を引き取る。現代であればすぐに救急車を手配し、なんの難しい事もなく助かるケースである。

考えてみれば1人医者というのも大変である。大きな病院であれば専門医も揃っている。現代なら町医者でも手に負えなければ大きな病院に転院でき、緊急であれば救急車で運ぶ事ができる。されどこの時代、大井沢村では周子が1人で対応しなければならない。時に患者を前に医学書を片手に診療する苦労は大変だっただろうと思うしかない。そして約束の3年を迎えた時、母親が亡くなってしまう。志田家の子供たちは周子を除いてみなまだ子供であり、周子は一家の母親代わりを果たさなければならなくなる・・・

考えてみればこの時代、山形県の無医村から東京の大学を出て医者になるというのは、相当裕福でないとできない。事実、主人公は村長の娘であるから可能だったのだろう。それでもそんな立場に溺れることなく、周子は村人たちの白眼視に耐えながら医師を続けていく。そして映画では強調されていなかったが、父荘次郎も村長という立場に甘んじるのではなく、私財を投げうって(村の補助金だけでは足りなかったようである)診療所を建設している。まさに「ノーブレス・オブリージュ」であるが、ここにももう少しスポットライトが当たっても良かったのではないかと思う。

この映画の制作は「志田周子の生涯を銀幕に甦らせる会」となっていた。映画ではスポットライトが当たらなくても、周りの人にはしっかり受け継がれていたのかもしれない。映画はさまざまなエピソードを加えて進んでいく。北国の過酷な自然の中で生きる村人たち。最初は冷たくあたるものの、それも当時の貧しい環境の中からすれば無理もなかったのかもしれない。現代であれば、みんなもう少し幸せになれていたかもしれない。『いしゃ先生』というタイトルが深く心に残る映画である・・・


評価:★★☆☆☆










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2008年04月13日

【マリー・アントワネット】My Cinema File 196

MARIE ANTOINETTE.jpg

原題: MARIE ANTOINETTE
2006年 アメリカ
監督: ソフィア・コッポラ
出演: 
キルスティン・ダンスト:マリー・アントワネット
ジェイソン・シュワルツ:ルイ16世
ジュディ・デイヴィス:ノアイユ伯爵夫人
アーシア・アルジェント:デュ・バリー夫人
リップ・トーン:ルイ15世

<シネマトゥデイ>
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有名な悲劇の王妃マリー・アントワネットの物語を、1人の女性の成長期としてとらえた宮廷絵巻。幼くして故郷を離れ、異郷フランスの王室で必死に生きた女性の激動の人生を丁寧に物語る。監督は『ロスト・イン・トランスレーション』のソフィア・コッポラ。『スパイダーマン』シリーズのキルステン・ダンストが孤独を抱えて生きる女性を愛くるしく演じている。実際のヴェルサイユ宮殿で撮影された豪華な調度品や衣装の数々は必見。
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オーストリア皇女マリーは、14歳にしてフランス王太子ルイ16世の元へ嫁ぐことになった。結婚生活に胸を膨らませていたが、待ち受けていたのは、上辺だけ取り繕ったベルサイユ宮殿の人々と、愛情のない夫婦生活。ルイは必要な事以外はマリーと口もきかず、同じベッドに寝ていても、指一本触れない。愛情深く育ったマリーだったが、悪意溢れる噂に傷つき、やがて贅沢なドレスやパーティーに心の安らぎを求めるようになる・・・

マリー・アントワネットといえばもうあちこちでいろいろな形で取り上げられ、その生涯もわりとよく知れ渡っている。そのアントワネットの生涯を描いた映画である。

ただフランス革命が勃発し、騒乱の中ギロチンで斬首刑にされた人生の終盤はほとんど触れられていない。14歳でフランス王太子妃となり、華やかなヴェルサイユの一員となった以降の華やかな時代がメインである。

フランスとオーストリアの同盟のために政略結婚させられたが、世継ぎができないと離縁もありうるご時勢。早く世継ぎをというプレッシャーの中で、肝心の夫ルイはベッドの中で何も出来ない。そんな苛立ちと窮屈な宮廷生活からファッションやスイーツに走る。

次から次へと登場するドレスは「豪華絢爛ファッションショー」と言われたのも頷ける。
監督はフランシス・フォードコッポラ監督の娘、ソフィア・コッポラ。
女性監督が作った女性向けの映画と言われるが、まさにその通りである。

ただ、すべてがヴェルサイユ宮殿内で完結しており、アメリカ独立、イギリス・プロイセンとの対立などという時代背景からは切り離されている。アントワネット自身が浮世離れしていた事もあるが、なんとなく浮き上がったものに感じる。「激動の歴史の中でギロチンに散った悲劇の王妃」という側面を期待して観ると肩透かしをくらうことになるかもしれない。

まあ映画にしろ小説にしろ、歴史上の人物を描くのに一方向からの見方ばかりにする必要は必ずしもない。これはこれで良いのかもしれないと思える映画である・・・


評価:★★☆☆☆








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